「24時間戦えますか」のCMで一世を風靡したあの男は、実はとんでもない子煩悩だった。身長188cmの長身と端正な顔立ちで医師やパイロットを演じ、若い女性を熱狂させた時任三郎。しかし、彼の人生のピークはバブル期のCMでも、数々のドラマの主演でもない。人気絶頂のさなか、すべてを投げ打って家族とともにニュージーランドに移住した、あの決断にこそ彼の真骨頂がある。俳優としてより、父親として生きることを選んだ男の、意外な素顔に迫る。
基本プロフィール
| フリガナ | ときとう さぶろう |
|---|---|
| 生年月日 | 1958年2月4日 |
| 出身地 | 東京都世田谷区 |
| 身長 | 188cm |
| 血液型 | O型 |
| ジャンル | 俳優、歌手 |
木材工芸から俳優への転身
188センチの長身と端正な顔立ち。時任三郎は、生まれながらにして俳優の風格を備えていたわけではない。むしろ、その出発点は「木材工芸」にあった。大阪の高校で木と向き合い、大阪芸大デザイン学科に進むも、そこに自分の未来を見出せずに中退。上京を決意したのは、20歳の頃だ。
東京で俳優養成所に通いながら、彼はバンド活動にも没頭する。音楽と演劇、二つの道を彷徨う日々。デビューは1980年、舞台『ヘアー』でのことだった。しかし、すぐに星が輝いたわけではない。翌年、シングル「川の流れを抱いて眠りたい」で歌手デビューを果たすが、これも大きな話題にはならなかった。
転機が訪れたのは1983年。テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』で、彼は初めて広く注目を浴びる。端正な容姿とどこか内に秘めた熱を感じさせる演技が、視聴者の心を捉えたのだ。俳優としての地盤を固め始めた時任は、やがて日本アカデミー賞優秀主演男優賞を二度受賞するまでになる。デビューまでの道のりは、決して順風満帆ではなかったが、その歩みは確かなものへと変わっていったのである。
『ふぞろいの林檎たち』と日本アカデミー賞
188センチの長身と端正なルックス、そしてどこか懐の深さを感じさせる佇まい。時任三郎の魅力は、単なる「二枚目」という言葉では収まりきらない。彼のブレイクの契機は、1983年のテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』に求められる。当時、新人とも言える存在だった時任は、この作品で一気にその名を広く知らしめたのだ。しかし、彼の真骨頂はその後にある。
俳優としての地位を確固たるものにしたのは、何と言っても数々の映画での主演作だろう。『海燕ジョーの奇跡』や『ハワイアン・ドリーム』、『永遠の1/2』など、80年代後半から90年代にかけて、爽やかでありながら芯のある青年像を次々とスクリーンに刻み込んでいった。特に1985年と1988年に日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞したことは、その実力が業界内で高く評価された証左である。
そして、彼の存在を一つの時代のアイコンに押し上げたのが、あの栄養ドリンク「リゲイン」のCM出演だった。「24時間戦えますか」のキャッチコピーと共に、社会現象とも言える人気を博す。中でも「牛若丸三郎太」に扮したバージョンは強烈な印象を残し、そこで歌われた『勇気のしるし』はシングル化され大ヒットを記録する。俳優でありながら、歌手としてもトップチャートを賑わせた稀有な存在となったのだ。
医師やパイロット、大学教授など、社会的に信頼と憧れを集める職業を演じることが多いのも、彼の持つ清潔感と知性がそうさせているのだろう。だが、彼の内面を最も物語るのは、全盛期に家族のためにニュージーランドへ移住し、一時的に俳優活動を休止したというエピソードかもしれない。仕事よりも家族を選んだその決断は、彼の人間としての深みを感じさせる。時任三郎という俳優は、単なるスターではなく、時代を映し出す鏡のような存在なのである。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2026 | うちの弁護士はまたしても手がかかる |
| 2022 | Dr.コトー診療所 |
| 2019 | 監察医 朝顔 |
| 2019 | 監察医 朝顔 |
| 2019 | インハンド |
| 2019 | フォルトゥナの瞳 |
| 2018 | 家族のはなし |
| 2018 | 過保護のカホコ 2018 ラブ&ドリーム |
| 2018 | しろときいろ ~ハワイと私のパンケーキ物語~ |
| 2017 | 過保護のカホコ |
| 2017 | サバイバルファミリー |
| 2016 | グッドモーニングショー |
| 2015 | 所轄魂 |
| 2015 | 翳りゆく夏 |
| 2013 | すべては君に逢えたから |
| 2013 | 劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日 |
| 2012 | TOKYO エアポート 〜東京空港管制保安部〜 |
| 2012 | TOKYO コントロール |
| 2012 | BRAVE HEARTS 海猿 |
| 2012 | サマーレスキュー〜天空の診療所〜 |
| 2010 | 雷桜 |
| 2010 | THE LAST MESSAGE 海猿 |
| 2009 | ジャングル大帝 勇気が未来をかえる |
| 2009 | ヴォイス~命なき者の声~ |
| 2008 | ハッピーフライト |
| 2008 | 天国のスープ |
| 2008 | 天国のスープ |
| 2007 | 美ら海からの年賀状 |
| 2005 | 海猿 UMIZARU EVOLUTION |
| 2004 | 愛し君へ |
リゲインCMとニュージーランド移住
あの「24時間戦えますか」のCMで一世を風靡した時任三郎。颯爽とした立ち姿と深みのある声は、バブル期のエネルギッシュな時代そのものを体現していたと言えるだろう。しかし、その華やかなイメージの裏側には、家族を最優先にした驚くべき決断が隠されていたのだ。
俳優としてデビューした1980年代、『ふぞろいの林檎たち』で注目を集め、『海燕ジョーの奇跡』『永遠の1/2』などで日本アカデミー賞優秀主演男優賞を二度受賞するなど、順風満帆なキャリアを築いていた。まさに「24時間戦える」売れっ子俳優だった。
ところが1999年、彼は突如としてすべての仕事をセーブし、家族と共にニュージーランドへ移住する。当時3人の子供の父だった時任は、「子供をのびのび育てたい」という一心で、輝かしい日本の芸能界から距離を置いたのだ。約4年間、彼は専業主夫とも言える生活を送り、子供たちとの時間を何よりも大切にした。あのCMのイメージとは真逆の、穏やかで家庭的な日々を選択したのである。
この決断は、彼の人間性の深さを物語っている。帰国後も、浜田省吾やaikoのミュージックビデオで父親役を演じるなど、その経験は役者としての幅を確実に広げたに違いない。188cmの長身で「憧れの職業」を演じることが多かった二枚目スターが、プライベートでは徹底した子煩悩であるというギャップこそ、時任三郎の真骨頂と言えるかもしれない。