「俺は生まれも育ちも葛飾柴又だ」。あの名台詞を聞けば、誰もが顔を思い浮かべる国民的ヒーローがいた。しかし、寅さんの原点は、戦争と貧困に翻弄された少年時代にこそあった。焼け跡で金属を拾い、テキ屋の手伝いをし、病弱で学校にも満足に通えなかった。そのすべてが、後に「男はつらいよ」の魂を形作る糧となったのだ。
基本プロフィール
| フリガナ | あつみ きよし |
|---|---|
| 生年月日 | 1928年3月10日 |
| 出身地 | 東京府東京市下谷区・(現:東京都台東区下谷) |
| 身長 | 169cm |
| 血液型 | B型 |
| ジャンル | 俳優、コメディアン、演歌歌手 |
焼け跡とラジオが育んだ喜劇王の原点
戦後の焼け跡から、国民的喜劇王は生まれた。ラジオから流れる徳川夢声や落語に飢え、病弱で欠席がちな少年時代を送った渥美清。東京大空襲で家を失い、工員や担ぎ屋の手伝いをしながら生き延びたその経験こそが、後の「寅さん」の骨格となったのだ。大学進学説や船乗り志望説など、青年期の経歴は謎に包まれている部分も多い。しかし、確かなのは、彼が旅回りの演劇一座に入り、浅草のストリップ劇場「百万弗劇場」の専属コメディアンとして叩き上げられたことだ。肺結核で右肺を切除するという試練を経て、彼の芸風はドタバタから、人間の機微を描く深みへと変容していく。下積み時代の苦労と健康への過剰なまでの摂生が、あの温かくもどこか寂しい笑いを育んだのである。
『夢であいましょう』から生まれたフーテンの寅
「寅さん」は、実はテレビで全国区の人気者になってから生まれたわけではない。渥美清のブレイクのきっかけは、1961年から始まったNHKの音楽バラエティ番組『夢であいましょう』での軽妙な司会ぶりだった。それまで浅草のストリップ小屋やフランス座で培った、間の妙と飄々としたキャラクターが、テレビという新たなメディアで炸裂したのである。彼の独特の「間」と、どこか哀愁を帯びた表情が、視聴者の心を鷲掴みにしたに違いない。
しかし、真の代表作と言えば、言うまでもなく『男はつらいよ』シリーズだろう。1969年、山田洋次監督に見いだされ、柴又のテキ屋・車寅次郎を演じたことが、日本映画史に残る国民的キャラクターの誕生となった。戦後の焼け跡でテキ屋の手伝いをした経験や、病弱でラジオに聴き入った少年時代が、寅次郎の血肉となって表れている。彼の演じる寅次郎は、単なるお調子者ではない。世間ずれしたようで純情であり、失敗ばかりしながらも人を憎むことを知らない。その人間味あふれる演技は、48作に及ぶ長寿シリーズを支え、没後も色あせない愛されキャラクターとしての地位を確固たるものにした。渥美清という名優がいたからこそ、寅さんは永遠の旅人であり続けられたのである。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2019 | 男はつらいよ お帰り 寅さん |
| 1997 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花(特別篇) |
| 1995 | 男はつらいよ 寅次郎紅の花 |
| 1994 | 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 |
| 1993 | 男はつらいよ 寅次郎の縁談 |
| 1993 | 学校 |
| 1992 | 男はつらいよ 寅次郎の青春 |
| 1991 | 男はつらいよ 寅次郎の告白 |
| 1990 | 男はつらいよ 寅次郎の休日 |
| 1989 | 男はつらいよ ぼくの伯父さん |
| 1989 | 男はつらいよ 寅次郎心の旅路 |
| 1988 | 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 |
| 1988 | ダウンタウンヒーローズ |
| 1987 | 男はつらいよ 寅次郎物語 |
| 1987 | 男はつらいよ 知床慕情 |
| 1987 | 二十四の瞳 |
| 1986 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 |
| 1986 | キネマの天地 |
| 1985 | 男はつらいよ 柴又より愛をこめて |
| 1985 | 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 |
| 1984 | 男はつらいよ 寅次郎真実一路 |
| 1984 | 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 |
| 1983 | 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 |
| 1983 | 男はつらいよ 旅と女と寅次郎 |
| 1982 | 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 |
| 1982 | 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 |
| 1981 | 男はつらいよ 寅次郎紙風船 |
| 1981 | 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 |
| 1980 | 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 |
| 1980 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 |
病弱と禁欲が生んだ哀愁の笑い
あの国民的寅さんが、実は病弱な欠食児童だったことをご存じだろうか。渥美清の原点は、ラジオから流れる落語と戦争の焼け跡にあった。
昭和3年、東京・下谷に生まれた渥美は、小児腎臓炎などに悩まされ学校を長期欠席する日々を送る。その孤独を埋めたのはラジオの音声だ。徳川夢声や落語を覚えては学校で披露し、人気者になったという。戦火で家を焼かれ、工員やテキ屋の手伝いをしながら中央大学に進学したが、その市井の経験こそが後の寅次郎の血肉となったに違いない。
浅草のストリップ劇場でコメディアンとしての一歩を踏み出した彼を襲ったのは肺結核だ。右肺を切除する大手術を経て、酒や煙草を一切断つ禁欲的な生活を送るようになる。この生死を彷徨った経験が、彼の芸風をドタバタ喜劇から深みのある人間味溢れるものへと変貌させたと言えるだろう。
NHK『夢であいましょう』で全国区の知名度を得た後、運命の『男はつらいよ』シリーズが始まる。フーテンの寅次郎は、彼自身がかつて手伝ったテキ屋の記憶や、市井の人々への温かい眼差しが結実した役だった。シリーズは48作に及び、没後には「国民に喜びと潤いを与えた」として国民栄誉賞が贈られた。病弱な少年が、戦後の混乱を生き抜き、日本中から愛される存在へと上り詰めたのである。