
1992年の急逝から30年以上が経過してもなお、多くの若者の心を捉えて離さない永遠のカリスマ・尾崎豊。
「15の夜」や「卒業」で見せた、歌詞を一語一語噛みしめるように吐き出し、サビで感情を爆発させるあの独特の歌唱法と“魂のシャウト”には、実は明確な「モデル」が存在した。
その人物こそ、Vシネマの帝王として知られ、コワモテ俳優の代名詞である「白竜」その人である。
尾崎が模索した「理想の歌唱スタイル」
音楽ライターが語る。
「尾崎のボーカルスタイルといえば、ブルース・スプリングスティーンや佐野元春の影響が指摘されることが多いですが、最も直接的な『原形』は間違いなく白竜です。俳優としてのイメージが強い白竜ですが、実は1979年にロックバンドのボーカルとしてデビューしている。尾崎はデビュー前、白竜のファーストアルバム『光州City』や、そこに収録されている楽曲『アリのままで』が入ったカセットテープを擦り切れるほど聴き込んでいたという逸話は、音楽業界では伝説的に囁かれています。当時、まだ何者でもなかった10代の尾崎少年は、白竜のドスの効いた低い声と、語りかけるような歌い回しに強烈なシンパシーを感じ、自身のスタイルに取り込んでいったのかもしれません」
実際、当時の一部関係者の間では「尾崎の歌い方は白竜の完コピ」とまで指摘されていたという。
特に初期の楽曲における、言葉を投げつけるようなフレージングは、白竜の楽曲と比較すると驚くほど酷似している。
「繊細な歌詞」と「強面の歌声」の化学反応
なぜ、繊細な心を持った文学青年・尾崎豊が、アウトローの象徴である白竜に惹かれたのか。
そこには、尾崎なりの計算と憧れがあった。
前出のライターが分析する。
「尾崎の書く歌詞は、学校や社会への反発という重いテーマを扱っていますが、言葉選び自体は非常に内省的で文学的です。これを普通に美しく歌ってしまっては、単なるフォークソングになってしまう。そこで尾崎は、あえて白竜のような『凄みのあるボーカル』を乗せることで、楽曲にロック的なリアリティを持たせようとしたのでしょう。『ジャクソン・ブラウンのような歌詞を、白竜の声で歌う』。この奇跡的なアンバランスさこそが、尾崎豊というジャンルを確立させた最大の要因なんです」
本人同士も認めていた「魂の共鳴」
二人の関係は、単なる模倣では終わらなかった。後に尾崎は白竜と対面を果たし、親交を深めている。互いに詩人・中原中也を愛する者同士として、朝まで語り合ったという逸話も残っている。
純白のTシャツを着た教祖・尾崎豊。その歌声の奥底には、サングラスに白スーツの“Vシネの帝王”が潜んでいたのであった。