彼は戦場には一度も赴かなかった。だが、その目は常に「敵」を捉えていた。上官に喧嘩を売り、階級章を外して殴り合いを挑んだこともある。戦後、その反骨と野性味が、黒澤明という稀代の名匠の目に留まる。三船敏郎――世界が認めた日本映画の巨人は、満州で生まれ、軍隊で鍛えられ、銀幕にその全てをぶつけた男である。

基本プロフィール

フリガナ みふね としろう
生年月日 1920年4月1日
出身地 膠州湾租借地(現・中国山東省青島市)
血液型 O型
ジャンル 俳優・映画プロデューサー・映画監督

コカ・コーラのドラム缶から東宝の門へ

戦争が彼のすべてを奪い、残されたのは二枚の毛布だけだった。終戦を迎えた三船敏郎は、故郷と呼べる場所も、待つ家族も失っていた。進駐軍のコカ・コーラのドラム缶を運ぶ肉体労働で日銭を稼ぎながら、彼は一縷の望みをかけて、かつて軍隊の先輩が口にした約束を頼りに東宝撮影所の門を叩く。しかし、待っていたのは「撮影部には空きがない」という冷たい現実だった。絶望すら感じたその時、先輩の大山年治はこう告げた。「ちょうど俳優の募集がある。受けてみないか」。彼は、カメラの向こう側に立つことなど考えたこともなかった。軍で上官に喧嘩を売り、特攻隊の少年たちに「お母ちゃんと叫べ」と教えた、その反骨と熱い血潮が、カメラの前で爆発するとは、この時まだ誰も知らない。

床に書いた応募用紙が世界を変えた

「あの男は、カメラの前で殴る時、本当に殺す気で殴っている」。黒澤明監督がそう評した三船敏郎の破天荒な演技は、戦後の日本映画に衝撃を与えた。彼のブレイクのきっかけは、1946年、東宝のニューフェイス募集に応募した際の、ある「偶然」にあった。応募用紙を書くための机がなく、仕方なく床に置いて書いたその姿が、審査員の目に「図太い男」と映ったという。その直感は正しかった。彼は、黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948年)で、肺病に冒されながらも虚勢を張るヤクザ・松永を演じ、一躍スターダムを駆け上がる。黒澤作品における彼の存在は圧倒的だ。『羅生門』(1950年)で嘘をつき通す盗賊・多襄丸を、『七人の侍』(1954年)で野武士に立ち向かう浪人・菊千代を、『用心棒』(1961年)では颯爽と悪を斬り裂く侍・三十郎を演じ、いずれも映画史に残る名演技を刻み込んだ。彼の魅力は、荒々しい肉体性と、その奥に潜む人間臭さにある。スクリーンに放たれるそのエネルギーは、戦後の混乱と復興の時代そのものを体現しているかのようだった。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2016 Mifune: The Last Samurai
2012 Final Cut: Hölgyeim és uraim
2002 黒澤明~創ると云う事は素晴らしい~隠し砦の三悪人
1995 ピクチャーブライド
1995 深い河
1992 Shadow of the Wolf
1991 Journey of Honor
1991 ストロベリーロード
1990 天と地と〜黎明編
1989 千利休 本覺坊遺文
1989 cfガール
1989 春来る鬼
1987 竹取物語
1987 傑作時代劇 天下の御意見番罷り通る!彦左衛門外記
1987 男はつらいよ 知床慕情
1987 The Shatterer
1986 玄海つれづれ節
1985 聖女伝説
1984 海燕ジョーの奇跡
1984 燃えて、散る 炎の剣士 沖田総司
1984 山河燃ゆ
1983 魔境 殺生谷の秘密
1983 女たちの大坂城
1983 素浪人罷り通る 矢立峠に裏切りを見た
1983 日本海大海戦 海ゆかば
1983 素浪人罷り通る 涙に消えた三日極楽
1983 Suronin Makari Toru 4 Sarumo Jigoku Nokorumo Jigoku
1983 人生劇場
1982 素浪人罷り通る 暁の死闘
1982 制覇

特攻隊に「お母ちゃんと叫べ」と教えた男

黒澤明が「世界の三船」と呼んだ男は、実はカメラマン志望だった。戦後、職を求めて東宝撮影所を訪れた三船敏郎は、撮影助手の空きがないと断られる。仕方なく、たまたま募集していた俳優試験「ニューフェイス」に応募したが、これが伝説の始まりとなる。

彼の強烈な個性は、苛烈な軍隊生活で鍛え上げられたものだ。航空教育隊では上官の理不尽なしごきに耐え、上等兵のまま終戦を迎えた。しかし、部下思いの一面もあり、特攻隊基地では翌日出撃する少年兵たちに、貴重な食糧ですき焼きを作り、「『天皇陛下万歳』なんて言うな。『お母ちゃん』と叫べ」と涙ながらに送り出したという。この人間味あふれるエピソードは、銀幕で見せる豪快な演技の裏側に流れる、深い情感の源泉だったかもしれない。

やがて黒澤明に見出され、『羅生門』『七人の侍』『用心棒』など、数々の名作で世界を魅了する。ヴェネツィア国際映画祭で二度の男優賞を受賞するという、日本人として初の快挙を成し遂げたのも当然の成り行きだった。彼の存在なくして、日本映画の黄金時代は語れない。

しかし、そんな国際的スターにも、意外なほどの寂しさが付きまとっていた。終戦時、両親は他界し、兄弟とも離散。大連の実家は焼け落ち、帰る場所がなかった。あの強靭な肉体と眼光は、全てを失った男が、銀幕という新天地で必死に築き上げた「城」だったのだ。世界が認めたその演技力の根底には、深い孤独と、それに抗う人間らしい温かさが共存していたのである。

おすすめの記事