「野球よりも柔道で注目されていた」――。後に「ゴジラ」の異名で世界を震え上がらせた男の少年時代は、実はそんな意外な事実から始まる。石川県の柔道大会で優勝し、国体強化選手にまで選ばれた松井秀喜。彼がバットではなく、柔道着に袖を通していた頃を想像できる読者は少ないだろう。しかし、その巨体と並外れた運動神経は、やがて野球というフィールドで、誰も予想し得ない伝説を刻み始めることになる。左打ちへの転向さえ、当初は「打てなくするため」という仲間のいたずら心がきっかけだったというのだから、運命とは実に不可思議なものである。
基本プロフィール
| 出身地 | 石川県能美郡根上町・(現:能美市) |
|---|---|
| 身長 | 188cm |
柔道で磨かれたゴジラの巨体
石川の小さな町で生まれた少年は、その巨体ゆえに「保育園史上最大の園児」と呼ばれた。小学1年で兄のいる少年野球チームに入るも、幼すぎて監督の指示が理解できず、わずか一週間で退団を余儀なくされる。この挫折が、後に「ゴジラ」と呼ばれる男の野球人生の、意外な出発点だった。
野球から離れ、柔道や相撲で頭角を現す日々。しかし、野球に打ち込む兄の背中が、彼の心を再びグラウンドへと引き寄せる。小学5年の夏、新たな指導者の下で再びグローブを握った時、彼は既にプロ野球選手という夢を抱いていた。右打ちだったが、あまりにも打球を飛ばすため、仲間たちが「左で打て」と勧めた。これが、後の大砲を生む運命の転向となる。
中学では身長170cm、体重95kgの巨漢捕手として、打率6割を叩き出す怪物と化す。軟球を130メートルも飛ばし、ボール代だけで半年10万円を超える破壊力。しかし、その才能は荒削りだった。試合で敬遠され、怒りでバットを投げつけた彼を、コーチは試合中に激しく諌めた。この体罰とも言えるほどの厳しい指導が、彼の激情を野球のエネルギーへと昇華させる礎となったのである。
そんな彼の目は、既に海の向こうへと向いていた。衛星放送で映し出されるMLBの光景、特にオークランド・アスレチックスの強打者たちに、少年は強い憧れを抱く。日本を代表する大砲の胎動は、北陸の小さな町で、既に始まっていたのだ。
甲子園からワールドシリーズMVPへ
「野球よりも柔道で注目されていた」という事実が、後の怪物打者・松井秀喜の原点を物語っている。中学時代に相撲大会で優勝し、130メートルの飛距離で軟球を割りまくった巨漢少年は、プロを目指す以前から並外れた身体能力の持ち主だったのだ。
彼のブレイクのきっかけは、星稜高校時代の甲子園での活躍に求められる。特に1992年夏の選手権、準決勝での逆転サヨナラ満塁本塁打は伝説となった。この一打が「松井秀喜」という名前を全国に知らしめ、その破壊力から「ゴジラ」の愛称が定着するきっかけとなった。高校時代から既に、彼のバットから放たれる打球は次元の違う脅威だったのである。
プロ野球入り後は読売ジャイアンツの4番打者として不動の地位を築き、3度の三冠王に輝くなど日本球界を代表する打者となった。しかし、彼の真骨頂はその先にあった。メジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースへの挑戦である。2009年、ワールドシリーズでの圧倒的な活躍でアジア人初のシリーズMVPを受賞し、世界の頂点を証明してみせた。あの少年時代に衛星放送で熱心に見ていた舞台で、自らが主役となった瞬間だった。
松井秀喜の魅力は、桁外れの身体能力と、それを支える並々ならぬ努力、そして静かな闘志にある。幼少期に一度は野球を辞めかけながらも兄の背中を追い、厳しい指導にも耐え抜いた。その生涯は、生まれ持った才能を、ひたむきな努力で最高峰まで昇華させた一つの物語と言えるだろう。
憧れは掛布雅之、左打ち転向の真相
あの「ゴジラ」が実は柔道で国体強化選手だったことをご存じだろうか。松井秀喜の圧倒的なパワーの源は、野球だけではなかったのだ。
幼少期から並外れた体格を誇った松井は、野球よりも先に柔道で頭角を現す。能美郡大会優勝、石川県大会3位に入り、「立ってよし、寝てよし」と自ら語るほど、県内有数の実力者として将来を嘱望されていた。わんぱく相撲での活躍に加え、実家のピアノを弾くという一面も持つ。あの豪打は、多様な運動神経と芸術的センスが融合した賜物だったのかもしれない。
プロ野球選手としての道も平坦ではなかった。小学校1年で兄の所属する少年野球チームに入団するも、幼すぎて監督の指示が理解できず、わずか1週間で「もう少し待ってほしい」と辞めさせられた過去がある。そのショックから4年生時に父から勧められた再入団も拒否したというエピソードは、後の不動の大スラッガーからは想像し難い。
運命を変えたのは、彼が敬愛した掛布雅之選手への憧れだった。元々は右打ちだったが、野球仲間から「掛布選手と同じ左で打て」と勧められ、左打ちに転向。これが、読売ジャイアンツ時代の3度のリーグMVP獲得へと繋がる礎となった。そしてメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースでの挑戦。2009年にはワールドシリーズMVPを受賞し、アジア人初の快挙を成し遂げる。その偉業が評価され、2013年には国民栄誉賞に輝いたのである。
しかし、彼の原点には常に厳しい師の存在があった。中学時代のコーチ、高桑充裕は、試合中に怒りでバットを投げつけた松井を、その場で殴打して諌めたという。松井自身が「あの体罰がなければ今の自分はいない」と語るほどの衝撃だった。鋼のメンタルは、幼少期の挫折と、青春時代の厳しい愛によって鍛え上げられたに違いない。
ニューヨークの英雄は、石川県の柔道少年であり、ピアノを奏でる多才な青年でもあった。一本足で構えるあの独特のフォームの裏側には、そんな豊かな人生の層が幾重にも積み重なっているのである。