
人気タレントや俳優が「不倫スキャンダル」により、テレビから干されてしまう。
過去を振り返ると、ベッキーや矢口真里、アンジャッシュ・渡部建、唐田えりかなど、日本では何度も繰り返されてきた光景だが、海の向こうハリウッドでは、ブラッド・ピットやアーノルド・シュワルツェネッガーのように、不貞行為が発覚しても作品が評価されれば第一線に留まり続けるケースが珍しくない。
なぜ、日本の芸能界だけがこれほどまでに「清廉潔白」を強要されるのか。その背景には、倫理観の違いなどではなく、日米の決定的な「ビジネスモデルの断絶」が存在した。
作品ではなく「好感度」を売る日本
大手広告代理店関係者が解説する。
「最大の要因は、日本の芸能人の主な収入源が『映画や音楽の興行収入』ではなく『テレビCMの契約料』に依存しきっている点です。 アメリカの場合、スターは『演技』や『歌』という芸を売り、観客がチケットを買うことでビジネスが成立します。芸が優れていれば、私生活が多少乱れていても市場価値は下がらない。対して日本では、タレントは企業の商品を売るための『イメージキャラクター』として消費されます。極論すれば、日本の芸能人は『生きたゆるキャラ』。スポンサー企業は彼らの『芸』ではなく『好感度(安心感)』に億単位の金を払っているのです。だからこそ、不倫という『不潔な行為』は商品のイメージを毀損するテロ行為と同義であり、即刻契約解除という極刑が下されるのです」
この「CM至上主義」は、芸能事務所の経営方針さえも歪めている。タレントをアーティストとして育てるよりも、当たり障りのない優等生として管理し、CM枠を確保する方が手っ取り早く稼げるからだ。
違約金という名の「首輪」
同関係者が続ける。
「日本の事務所がタレントの私生活を過剰に管理するのは、スキャンダル一発で億単位の違約金が発生し、事務所自体が傾くリスクがあるからです。いわば日本の芸能人は、デビューした瞬間から『スポンサー契約』という見えない首輪をつけられた奴隷のようなもの。自由な恋愛や発言が許されているように見えて、その実、スポンサーの意向という『絶対神』の前では無力です。不倫叩きが起きると、ここぞとばかりに『主婦層の敵』といったレッテルが貼られますが、あれも突き詰めれば『購買層(主婦)を怒らせて商品が売れなくなる』という経済的な理由に過ぎないのです」
芸を磨くことよりも、品行方正であることを強いられる日本の芸能界。
テレビ画面に並ぶ彼らの笑顔は、スポンサーに向けられた「営業用スマイル」に過ぎないのかもしれない。