
インバウンド客でごった返す東京・浅草。雷門から少し離れた六区の路地裏に、昭和の芸人たちが愛してやまない一軒の名店がある。
くじら料理の店「捕鯨船」。
名曲『浅草キッド』の歌詞にも登場するこの店は、ビートたけしがフランス座での修業時代、師匠・深見千三郎氏や仲間たちと夢を語り合った聖地として知られている。そんな同店には、長年にわたり芸人たちの間で密かに語り継がれている「ある伝説」が存在するのだ。
「若手芸人はタダで飲め」という“伝説の金”
お笑いライターが語る。
「業界では有名な話ですが、たけしはこの店に『若手の飲み代』として多額の現金を預けているんです。売れていない若手芸人が店に来た際、店主が『たけしから預かってるから』と言って、その金で飲ませてやる。かつて自分が先輩たちに食わせてもらったように、今度は自分が見知らぬ後輩たちの腹を満たしてやる。そんな“恩送り”のシステムが、この店では何十年も機能しているんです」
実際に、この「たけし預り金」の恩恵を受けた芸人は数知れない。現在テレビで活躍する中堅芸人の中にも、下積み時代に捕鯨船で“タダ酒”を飲み、芸人としての魂を磨いた者は多いという。
だが、この金を使うには一つだけ条件がある。それは「本気で芸人をやっていること」だ。
名物店主との間で交わされた“男の約束”
同店の名物店主・河野通夫氏は、かつてデン助劇団で活躍した元芸人でもある。たけしとは「おい、煮込み!」の一言で通じ合う仲であり、彼の成功を誰よりも喜び、支え続けてきた盟友だ。
前出のライターが続ける。
「河野さんは、店に来た若者の目を見れば、そいつが本気で売れようとしているのか、ただの遊び半分なのかが分かるといいます。たけしが預けた金は、単なる慈善事業ではない。『こいつは見込みがある』と河野さんが認めた若者にだけ使われる、いわば『芸人への投資』なんです。たけしもそれを分かっていて、現金の管理をすべて河野さんに一任している。二人の間には、契約書など必要ない強固な信頼関係があるんですよ」
近年、たけしはメディアで「もう浅草には帰らない」といった趣旨の発言をすることもあるが、それは照れ隠しであり、自身の故郷である浅草を「過去のもの」として神格化させないための配慮だとも言われている。
「店に行けば分かりますが、壁にはたけしの写真やサインが所狭しと飾られている。本人が来ようが来まいが、あそこには常にたけしの魂が鎮座しているんです。預り金が底をつきそうになると、どこからともなく補充されるという噂さえある。浅草の芸人にとって、あの金は『お前ら、絶対に売れろよ』という、殿からの無言の叱咤激励なんですよ」(同ライター)
クジラを食って夢を語る。昭和から続く芸人の系譜は、一軒の店と一人の天才によって守られていたのであった。
(松尾晶)