ビートたけしが「世界の北野」の座に駆け上がるきっかけとなったのが、初監督作の映画「その男、凶暴につき」。
興行収入7億8000万円のヒットを記録
80年代初頭から毒ガストークでお笑い界を席巻していたたけしが北野武名義で映画監督デビューを果たした同作の公開は1989年8月12日。山根貞男ら名だたる映画評論家の絶賛を浴びる鮮烈なデビュー作となった。
松竹富士が配給し興行収入7億8000万円のヒットを記録した同作。たけし自身が主役を務め(ポスターでは「主演・監督ビートたけし」、映画のクレジットでは監督・北野武、主演・ビートたけしと表記されている)、白竜、佐野史郎ら個性派俳優が存在感を放つ邦画史上に残るピカレスクの傑作だ。
当初は「深作欣二監督・ビートたけし主演作品」の予定だった
そんな「その男、凶暴につき」は、たけしと「日本映画界の巨匠」「豪腕プロデューサー」「天才脚本家」による「摩擦」から生まれている。
同作が誕生した経緯について、映画ライターが解説する。
「元々は『灼熱』のタイトルで深作欣二監督によるビートたけし主演作として世に出る予定だったんです。しかし深作監督と奥山和由プロデューサーの間で『バイオレンスシーンの扱い』について折り合いがつかなかった。結局、深作監督のスケジュールが調整できず降板することになりました」
「脚本の書き直し」を条件としてたけしが監督に
こうした事情からたけしの監督デビューが急浮上する。
「やむなく奥山プロデューサーがたけしに監督を依頼したところ、たけし自身による脚本の書き直しを条件に快諾。紆余曲折がありつつも公開にこぎつけました」
これに納得がいなかったのが「他人による脚本の改変」を強いられることになった同作の脚本家・野沢尚氏だ。
「妥協を許さないプロゆえの摩擦」
「大幅に脚本を変えられてしまった野沢氏が制作陣に『だまし討ちされた』と憤るのも無理はありません。その後、映画公開から15年が経った2004年、野沢氏は同作の改変前の脚本をもとに新作小説『烈火の月』を刊行しました。ただ野沢氏はたけしの才能自体は認めていた。『その男、凶暴につき』を観た際に『自分の脚本をズタズタにされたことはやっぱり耐えられないけど、北野武は天才だよ。悔しいけど傑作だったよ』と語っていたことを、野沢氏の妻が後年明かしています」
同ライターが続ける。
「野沢氏だけでなく、初監督作で板挟みとなってしまったたけし、期せずして『たけしのアシスト役』になってしまった深作監督の心境も複雑だったことは想像に難くありません。いずれも妥協を許さないプロゆえの摩擦ですが……」(同ライター)
こうして「世界の北野」が誕生した。
(飯窪悠)