あの「上を向いて歩こう」の明るい歌声の裏に、死と隣り合わせの人生があったことを知っているだろうか。坂本九、愛称「九ちゃん」は、戦中の列車事故で九死に一生を得、その43年の生涯を終えた日航機事故でも、幼き日に救われた笠間稲荷のペンダントが身元を証明するという、数奇な運命を背負った歌手だった。エルヴィスに憧れた不良少年が、やがて世界で1500万枚を売り上げる国民的スターへと上り詰めるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
列車事故を生き延びた少年のロカビリー魂
戦時中、常磐線の列車事故で九死に一生を得た少年がいた。彼は後に「笠間稲荷の神様が自分を救ってくれた」と語り、生涯その信仰を胸に刻むことになる。その少年こそ、坂本九である。
川崎で生まれ、9番目の子ゆえに「九」と名付けられた彼は、戦後の荒廃の中、エルヴィス・プレスリーの歌声に魂を揺さぶられた。高校生になると、その物まねで仲間内の人気者となり、米軍基地で初めて人前で歌う。その熱狂は、やがてロカビリーバンド「ザ・ドリフターズ」への加入へとつながっていく。
しかし、芸能界の厳しさに直面し、一度は引退を決意する。そこを救ったのは、スカウトの熱意だった。説得に折れ、新たなバンド「ダニー飯田とパラダイス・キング」の一員として再起を図る。デビュー曲はヒットせず、無名時代は日劇のステージでギターを弾く日々。新品のギターを叩き壊すほどのワイルドなパフォーマンスが、彼の原点だった。
やがて移籍した東芝音楽工業から「悲しき六十才」が初ヒットを記録。その後の彼を一躍国民的スターへと押し上げる、あの伝説の一曲の誕生まで、あと少しのところまで来ていたのである。
世界を席巻した「SUKIYAKI」の奇跡
あの笑顔の裏に隠された、ロックンロールの魂を知っているだろうか。坂本九のブレイクは、決して穏やかな歌だけが生み出したものではない。エルヴィス・プレスリーに憧れ、ギターを叩き壊すほどの熱狂的なロカビリー歌手としてのキャリアが、その土台にあったのだ。
転機は1961年、『上を向いて歩こう』のリリースである。この曲は、彼の持ち前の明るさと、どこか哀愁を帯びた歌声が見事に融合した。作詞の永六輔、作曲の中村八大とともに「六八九トリオ」と呼ばれ、戦後の日本に希望を歌い上げた。そのメロディは国境を越え、海外では「SUKIYAKI」のタイトルで大ヒットを記録する。世界が日本のポップスに注目するきっかけを作ったのは、紛れもなく九だったのである。
代表作は『見上げてごらん夜の星を』『明日があるさ』と続く。どの曲も、暗い時代を生きる人々の心を、優しく、そして力強く照らし出す力を持っていた。彼の歌声には、幼少期に経験した戦争や事故といった苦難を乗り越えてきた、したたかさと温かさが込められていた。テレビの司会者としての軽妙なトーク、俳優としての演技。マルチな才能で時代を駆け抜けたその生涯は、あまりにも短く、そしてあまりにも輝いていた。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 1975 | 吶喊 |
| 1967 | 君は恋人 |
| 1967 | 九ちゃんのでっかい夢 |
| 1966 | 坊っちゃん |
| 1965 | ハイウェイの王様 |
| 1965 | 調子のいい奴 いたずらの天才 |
| 1965 | ガリバーの宇宙旅行 |
| 1964 | 幸せなら手をたたこう |
| 1964 | 万事お金 |
| 1964 | 男嫌い |
| 1963 | 見上げてごらん夜の星を |
| 1963 | 九ちゃん刀を抜いて |
| 1962 | パラキンと九ちゃん 申し訳ない野郎たち |
| 1962 | ひとりぼっちの二人だが |
| 1962 | 若い季節 |
| 1962 | 九ちゃん音頭 |
| 1962 | 上を向いて歩こう |
| 1961 | 喜劇 駅前弁当 |
| 1961 | アワモリ君西へ行く |
| 1961 | アワモリ君乾杯! |
| 1961 | 喜劇 駅前団地 |
| 1961 | アワモリ君売出す |
| 1960 | すべてが狂ってる |
| 1960 | 女は抵抗する |
| 1960 | 山のかなたに |
笠間稲荷に誓った終生の信仰と反骨心
あの優しい笑顔の裏に、ロックンロールの魂が燃えていたことをご存じだろうか。坂本九は、エルヴィス・プレスリーに憧れ、ギターを叩き壊すほどの熱狂的なロカビリー歌手としてキャリアをスタートさせたのだ。
彼の人生は、幼少期から数奇な運命に彩られている。戦時中、疎開のため乗車した列車が事故に遭い、多くの犠牲者を出したが、彼は直前の車両移動により奇跡的に生還した。この体験が、後の彼の人生観に深く影響を与えたに違いない。その感謝の念は、笠間稲荷神社への終生の信仰として結実し、ついには結婚式まで挙げるほどになる。
「上を向いて歩こう」で国民的歌手の地位を確立した彼は、1964年、日本人として初めて米国でのゴールドディスクを受賞するという快挙を成し遂げた。世界に「SUKIYAKI」として愛されたこの曲は、彼を国際的なスターへと押し上げる。
しかし、その穏やかなステージイメージとは裏腹に、初期のライブではワイルドなパフォーマンスを身上とする一面もあった。事務所の意向を無視してまでステージに立ち、新人賞を獲ったその反骨心は、順風満帆とは言えなかったデビュー前夜を物語っている。
そんな彼の芸名「九」には、9番目の子として生まれたという説がある。名前のネタが尽きかけた末の命名とは、何ともユーモラスな逸話だろう。家族との絆を何よりも大切にした彼の根底には、こうした生い立ちが息づいていたのかもしれない。
43歳という若さでその生涯を閉じたことは、今なお多くのファンに惜しまれている。だが、彼が遺した歌声と笑顔は、時代を超えて人々の心に「上を向いて歩こう」という希望を灯し続けているのだ。