「歌手になるつもりが、たった一本の約束でデビューした映画が、その後の人生を決めてしまった」。松方弘樹のキャリアは、そんな予想外の転機から始まっている。17歳で主演デビューを果たした『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』。歌手志望だった青年は、父の説得で「一本だけ」のつもりで踏み込んだ映画の世界から、もう抜け出せなくなる。東映という巨大な映画工場に飲み込まれ、ライバル・北大路欣也との競い合い、そして大映へのレンタル移籍という波乱の日々が、彼を稀代のスターへと鍛え上げていくのだ。
基本プロフィール
| フリガナ | まつかた ひろき |
|---|---|
| 生年月日 | 1942年7月23日 |
| 出身地 | 東京府東京市王子区(現:東京都北区)赤羽台 |
| 身長 | 173cm |
| 血液型 | A型 |
| 所属事務所 | MARE |
| ジャンル | 俳優・映画監督・映画プロデューサー |
五木ひろしに敗れた歌手志望の上京
歌手になるはずだった。15歳で京都から単身上京し、作曲家・上原げんとの下で五木ひろしらと共に歌を磨いた松方弘樹。しかし、天才的な五木の歌声を前に、自らの限界を痛感する。歌手としての道が閉ざされたかに見えた1960年春、運命は彼を俳優の世界へと急転回させる。東映の売り出し中だった波多伸二が急死、その穴を埋める新人として白羽の矢が立ったのだ。父の説得で「1本だけ」の約束で映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』に主演デビュー。しかし、東映の大量生産システムは彼を容易に離さなかった。次々と舞い込む出演依頼を断り切れぬうちに、歌手の夢は遠のき、父と同じ俳優の道を歩むことになる。これが、波乱に満ちたスター誕生の瞬間であった。
『仁義なき戦い』で開眼した役者の魂
松方弘樹の名を一躍世に知らしめたのは、あの「キツーイ一発」というフレーズに違いない。しかし、その破天荒なキャラクターが確立される前、彼は俳優としての存在意義に悩む日々を送っていた。東映の大量生産システムの中で次々と作品をこなし、厳格な父からは一度も褒められず、役者を辞めてマグロ漁船に乗ろうと考えたこともあったという。そんな彼に転機が訪れたのは、1973年、『仁義なき戦い』シリーズへの出演だった。敵役、悪役を演じ分ける中で、初めて演技の奥深さ、面白さに目覚めたのである。これが松方芸の礎となったことは間違いない。
そして、彼を全国区のスターへと押し上げたのは、意外なきっかけだった。1974年、NHK大河ドラマ『勝海舟』で代役として抜擢されたのである。時代劇やヤクザ映画のイメージが強かった松方に、新たな光が当たった瞬間だった。この知名度を背景に始まった『週刊ポスト』の連載「松方弘樹の突撃対談」が、彼のイメージを一変させる。酒を煽り、セクハラまがいの発言を連発する「不良性」こそが、東映の岡田茂プロデューサーが彼に求めた新たなスタイルだった。あの「キツーイ一発」は、単なる流行語ではなく、俳優・松方弘樹が自らの居場所を切り開くための、ある種の覚悟の表明でもあったのだ。
歌手志望から始まり、時代劇の若きスター、そして『仁義なき戦い』で開眼した演技派、さらには「不良性」を売り物にするタレントへ。松方弘樹のキャリアは、常に時代の波と業界の思惑に翻弄されながらも、そのたびにしなやかに、時に荒々しく自らの道を進化させてきた。一本の約束で始まった映画出演が、やがて彼を日本を代表する個性派俳優へと育て上げるのである。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2015 | 時代劇は死なず ちゃんばら美学考 |
| 2015 | 柳生十兵衛 世直し旅 |
| 2015 | その男、意識高い系。 |
| 2015 | 裏社会の男たち |
| 2014 | 太秦ライムライト |
| 2013 | 十五少年漂流記 海賊島DE! 大冒険 |
| 2012 | スープ〜生まれ変わりの物語〜 |
| 2011 | ギャルバサラ-戦国時代は圏外です- |
| 2011 | 恋谷橋 |
| 2011 | 忍たま乱太郎 |
| 2010 | 十三人の刺客 |
| 2010 | ギャングコネクション |
| 2010 | ギャングコネクション 完結編 |
| 2009 | TAJOMARU |
| 2009 | 修羅の統一 |
| 2009 | THE CODE 暗号 |
| 2008 | 横浜暗黒街 侠華 |
| 2008 | ICHI |
| 2008 | 柳生一族の陰謀 |
| 2008 | 男たちの詩 |
| 2008 | 新宿暴力街2 ~烈華~ |
| 2008 | 哀愁のヒットマン |
| 2008 | 暗黒街の帝王 カポネと呼ばれた男 |
| 2008 | 結婚しようよ |
| 2008 | 極道な月 完結編 |
| 2008 | 横浜暗黒街 華炎 |
| 2007 | 新宿暴力街 華火 |
| 2007 | 茶々 天涯の貴妃 |
| 2007 | 極道な月 |
| 2007 | 検事霞夕子スペシャル「豪華客船殺人クルージング」 |
『勝海舟』から生まれた不良性のスター
松方弘樹といえば「キツーイ一発」のフレーズが頭に浮かぶ世代も多いだろう。しかし、あの破天荒なイメージの裏には、実は挫折と再起を繰り返した役者人生が隠されていた。
彼が最初に目指したのは歌手だった。15歳で上京し、五木ひろしと同じく作曲家・上原げんとに師事するが、五木の歌声を前にして自らの限界を悟る。絶望の淵にいた17歳の時、東映から一本だけの約束で映画出演の話が舞い込む。父の説得で湿り気たる気持ちで受けたデビュー作が、そのまま俳優への転機となったのだ。
東映では北大路欣也と並ぶ若手スターとして期待されながらも、大映へのレンタル移籍を経て、役者としての転機を迎えるのは1973年『仁義なき戦い』シリーズへの出演だった。それまで父から一度も褒められず、マグロ漁船への転職まで考えていた松方は、このシリーズで三役を演じ分けることで初めて演技の奥深さに目覚める。まさに役者としての「開眼」の瞬間である。
そして1974年、NHK大河ドラマ『勝海舟』で代役として主演を務め全国区の知名度を得ると、東映は彼を「不良性感度路線」の旗手に仕立て上げる。『週刊ポスト』の「突撃対談」連載が始まり、「キツーイ一発」は一世を風靡する流行語となった。あの豪快なキャラクターは、実は会社が意図的に作り上げた「役」の側面が強かったのだ。
歌手志望から始まり、時代劇スター、そして東映を代表する個性派俳優へ。松方弘樹の軌跡は、芸能界の荒波にもまれながら自らの道を切り開いた男の、したたかな生き様そのものだったと言えるだろう。