「農業会社の役員」と「バーチャルタレントの社長」を兼ねる男が、なぜ今もステージに立ち続けるのか。村上信五の半生は、常識を軽々と飛び越える破天荒な軌跡だ。中学時代は吉本のNSCを目指していたという、知られざる過去。その彼が、クラスメイトの一言でジャニーズ事務所のオーディションを受け、合格したその日の夜には、ジャニー喜多川社長本人から電話がかかってきた。聞かれたのはただ一言、「ローラーブレード、できる?」。答えはもちろん「イエス」。翌日、彼はKinKi Kidsのクリスマスライブに飛び入り出演し、華々しいデビューを果たすのである。

基本プロフィール

フリガナ むらかみ しんご
生年月日 1982年1月26日
出身地 大阪府高槻市
身長 170cm
血液型 AB型
所属事務所 ジャニーズ事務所(1996年 - 2023年)・SMILE-UP.(2023年 - 2024年)・STARTO ENTERTAINMENT(2024年 - )
ジャンル 歌手、司会者、俳優、キーボーディスト

ジャニー喜多川の直電「ローラーブレード出来る?」

あのキーボードを操る指は、実は吉本の扉を叩こうとしていた。中学時代、村上信五が最初に目指したのはジャニーズでもアイドルでもなく、お笑いの世界だったのだ。親友に誘われ、NSCへの進学を考えていたというから驚きである。しかし、運命は彼を別の道へと導く。クラスメイトのV6ファンが繰り返し勧めるジャニーズのオーディション。最初は全く興味がなかったが、部活引退後の空白の時間、「一人で受けるのが嫌」という、どこか少年らしい理由で友人を巻き込み、履歴書を送った。これが、すべての始まりだった。

書類審査を通過したものの、受験期にバレて母親に怒られる。だが、「約束は守りなさい」という一言でオーディション会場へ。そこで出会ったのが、後の相棒となる横山裕である。審査を終えたその夜、自宅に一本の電話が鳴る。電話の主はジャニー喜多川本人。「ローラーブレード、ユー出来る?」という問いに「出来ます」と即答した彼は、そのまま翌日のKinKi Kidsのクリスマスライブに飛び入り出演。これが、14歳の村上信五にとっての、眩いほど衝撃的な初ステージとなった。

関西ジャニーズJr.として研鑽を積み、やがて関ジャニ∞の一員としてデビューへ。しかし、彼の原動力は常に「やってみたい」という好奇心だった。アイドルとしての活動だけでなく、早くからラジオパーソナリティとして独自の世界を築き、やがてはスポーツキャスターとしてオリンピックのメイン舞台に立つまでになる。農業会社の役員に就き、バーチャルタレント「AIシンゴ」を運用する社長業もこなすその姿は、あの日、お笑いを志した少年が、いかにして「唯一無二のマルチプレイヤー」へと変貌を遂げたかを物語っている。

キーボードからラジオ、舞台まで異色のキャリア

あのKinKi Kidsのクリスマスライブに、オーディション合格直後の14歳が飛び込んだ夜から、村上信五の異色のキャリアは始まった。ローラーブレードが滑れるかというジャニー喜多川社長の直電に「出来ます」と即答し、ステージに立ったのだ。この度胸が、後のブレイクを決定づける。

関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)のキーボーディストとして『浪花いろは節』で鮮烈なデビューを飾るが、彼の真骨頂は音楽活動だけに留まらない。ラジオパーソナリティとして『レコメン!』で15年にわたりリスナーを掴み、アドリブ満載の舞台『「未定」壱』や自ら作演出を手掛ける『If or…』シリーズでは、類稀な話術と創造性を爆発させた。スポーツキャスターとしても、サッカーW杯からオリンピックまで、大型イベントのメインを任される存在に成長している。

その活動範囲は芸能界を遥かに超え、農業会社の取締役に就任しバーチャルタレント「AIシンゴ」を運用するなど、常識を軽々と飛び越える。中学時代にジャニーズに興味がなかったという逸話が示す通り、型にはまらない自由な発想こそが、村上信五の最大の魅力なのだ。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2025 櫻井信五の鬼スケ旅
2022 KANJANI∞ STADIUM LIVE 18祭
2022 Road to Re:LIVE 8BEAT
2022 SUPER EIGHTのあとはご自由に
2021 関西“愛”認定バラエティーちゃうんちゃう?
2021 ワケあって、このカタチなの。
2018 満願
2017 未成年だけどコドモじゃない
2014 エイトレンジャー2
2013 村上マヨネーズのツッコませて頂きます!
2012 エイトレンジャー
2012 月曜から夜ふかし
2011 関ジャニの仕分け
2010 8UPPERS
2009 Countdown Eito 2009-2010
2009 0号室の客
2009 マイガール
2008 ありがとう、オカン
2007 関ジャニ∞のジャニ勉
2000 史上最悪のデート
1999 ピカイチ
1999 ママチャリ刑事

農業会社取締役とAIシンゴの二刀流

あのキーボードの名手は、実は農業会社の取締役だった。

SUPER EIGHTの村上信五が、紫色をテーマにしたぶどうの育種・事業開発を手がける「ノウタス」の取締役であることをご存知だろうか。芸能界きってのビジネスセンスの持ち主は、バーチャルタレント「AIシンゴ」を運用する会社の社長も兼任する。その活動範囲の広さには驚かされるばかりだ。

彼の芸能界入りのきっかけは、むしろ消極的なものだった。ジャニーズに興味がなく、友達に誘われる形で受けたオーディション。合格の知らせは、ジャニー喜多川社長からの直電で届いた。「ローラーブレード、ユー出来る?」という問いに「出来ます」と答えたその翌日、彼はKinKi Kidsのクリスマスライブに飛び入り出演していたのである。あの初ステージが、すべての始まりだった。

ラジオでは、文化放送で20年以上にわたりパーソナリティを務め、開局70周年のスペシャルアンバサダーに抜擢されるなど、その話術と愛されぶりは折り紙付きだ。一方で、俳優としても確かな評価を得ており、『はぐれ刑事純情派』で日刊スポーツ・ドラマグランプリの新人賞を、『マイガール』では助演男優賞の2位に輝いている。

スポーツキャスターとしての顔も忘れてはならない。サッカーW杯からオリンピックまで、大型スポーツイベントのメインキャスターを歴任。2大会連続で五輪のメインを務めた実力は、もはやアスリート顔負けの専門性を感じさせる。

ステージ上では華やかな音楽を奏でるキーボーディストが、カメラの前では鋭い解説を放ち、畑ではぶどうの品種改良に情熱を注ぐ。村上信五という男の、尽きせぬ好奇心が彼をどこへ連れて行くのか。次なる挑戦から目が離せない。

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