かつて日本中を虜にしたヒッチハイクの旅人、有吉弘行は、ブームが去った後、地獄の10年を味わった。デビューシングルがミリオンセラーを記録する空前のブレイクから一転、仕事は激減し、自活すらできない日々。彼を救ったのは、かつて喧嘩で破門にした師匠・オール巨人の元を無断で離れた、その反骨心だったかもしれない。

基本プロフィール

出身地 広島県安芸郡熊野町
身長 172cm
血液型 A型
所属事務所 太田プロダクション

生い立ち・デビューまでの経緯

有吉弘行の芸能界入りは、まるで運命に翻弄される青春小説のようだ。広島の高校生だった彼は、テレビの公開弟子審査会に合格し、オール巨人の弟子となる。しかし、その道は平坦ではなかった。兄弟弟子とのトラブルで謹慎処分を受けた彼は、師匠の下を無断で離れるという破天荒な決断を下す。これが、後に伝説となる「猿岩石」誕生の瞬間である。

地元の同級生・森脇和成を誘い、コンビを結成して上京。1995年に太田プロダクションのオーディションに合格し、デビューを果たす。だが、真の転機は『進め!電波少年』でのヒッチハイク企画だった。異国の地を放浪する姿が国民的な共感を呼び、デビューシングルはミリオンセラーを記録。一躍、時代の寵児となったのである。

しかし、頂点は長くは続かなかった。ブームが去ると、彼らは急速に忘れ去られていく。有吉自身、「天狗になっていた」と振り返る不遇の時代が訪れる。仕事は激減し、経済的にも困窮。ダチョウ倶楽部の上島竜兵らに食事を奢ってもらう日々が続いたという。このどん底の経験が、後の「毒舌」という武器を研ぎ澄ませることになるのだが、それはまだ先の話である。

ブレイクのきっかけ・代表作

有吉弘行の名が全国に轟いたのは、あの「ヒッチハイク」の旅からだ。コンビ・猿岩石として『進め!電波少年』に出演し、文字通り命がけの旅を続けた彼らは、一躍国民的スターへとのし上がった。デビューシングル『白い雲のように』がミリオンセラーを記録するなど、その人気は頂点に達したかに見えた。

しかし、ブームは長くは続かなかった。帰国後、お笑いとしての評価は急降下し、彼は「10年間面白くないと言われ続けた」という不遇の時代に突入する。仕事は激減し、経済的にも困窮。かつてのスターは、もはや過去の栄光にすがるだけの存在になりかけた。

転機は、ピン芸人としての再起を賭けた『内村プロデュース』への出演だった。そこで披露した過激な「裸のリアクション芸」は、同世代の男性層を中心に支持を集めるきっかけとなる。そして、真の再ブレイクを決定づけたのが『アメトーーク!』での「おしゃべりクソ野郎」発言である。品川祐へのこの毒舌が大爆笑を呼び、有吉は一気に「毒舌芸人」としての地位を確立したのだ。

そこからは快進撃が続く。テレビ出演本数で日本一を記録し、主要局で冠番組を抱える司会者へ。さらには紅白歌合戦の総合司会を3年連続で務めるなど、かつての「天狗」だった男は、業界を代表する実力派タレントへと見事な変貌を遂げたのである。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2026 内村さんと有吉さん
2023 第74回NHK紅白歌合戦
2023 有吉弘行の脱法TV
2023 名アシスト有吉
2021 有吉の冬休み
2020 有吉の夏休み2020
2020 有吉ジャポンⅡ ジロジロ有吉
2020 有吉の壁
2018 有吉ぃぃeeeee!
2018 オールスター後夜祭
2018 有吉のお金発見 突撃!カネオくん
2017 マツコ&有吉 かりそめ天国
2016 有吉反省会
2014 櫻井・有吉THE夜会
2013 有吉ゼミ
2012 有吉くんの正直さんぽ
2010 恵比寿マスカッツ殺人事件~歌って踊って殺されて~THE 1st STAGE
2010 有吉AKB共和国
2009 IPPONグランプリ
2008 おねがい!マスカット
1951 NHK紅白歌合戦

人物エピソード・逸話

あの「ヒッチハイクの旅」から一夜にして国民的スターとなり、そして奈落の底へ。有吉弘行の芸能界人生は、一度どん底を味わった者にしか語れない強烈なリアリティに満ちている。

広島の高校生だった彼は、テレビの弟子審査会でオール巨人に見出されるが、兄弟弟子とのトラブルでわずか8か月で破門に追い込まれた。その後、同級生とコンビ「猿岩石」を結成し、『進め!電波少年』のヒッチハイク企画で爆発的人気を獲得する。デビューシングルはミリオンセラーを記録、まさに時代の寵児となったのである。

しかし、ブームは長くは続かなかった。帰国後、お笑いとして結果を出せず、人気は急降下。本人が「天狗になっていた」と語る不遇の時代は長く、約10年間は「面白くない」と言われ続けたという。仕事は激減し、食事すら先輩芸人に世話になる日々。彼のブログに綴られた数々の作り話は、その絶望的な現実を覆い隠すための、せめてもの虚勢だったのかもしれない。

転機は2004年の猿岩石解散と、ピン芸人への転身だった。『内村プロデュース』への出演が復活の足掛かりとなり、彼は「裸のリアクション芸」という荒療治で再起を図る。そして2007年、『アメトーーク!』での「おしゃべりクソ野郎」発言が火付け役となり、毒舌芸人としての新たなキャラクターが爆発的に受け入れられたのである。

そこからは快進撃だ。2011年には年間テレビ出演本数で堂々の1位を獲得。主要テレビ局全てで冠番組を持つ司会者としての地位を確立し、2019年からは3年連続でNHK紅白歌合戦の総合司会を務めるに至る。かつて「面白くない」と罵られた男が、日本を代表する司会者へと登り詰めたのである。その背景には、どん底で培った人間観察眼と、決して媚びない「本音」を貫く覚悟があったに違いない。

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