あの豪快な笑い声と、目隠しをしたまま繰り出す鮮やかな居合い斬り。勝新太郎の名を聞けば、誰もが『座頭市』の姿を思い浮かべるだろう。しかし、彼の人生は、決して順風満帆なスター街道ではなかった。デビュー当初は「主演ではヒットしない」と劇場主から苦情が殺到するほどの不遇の時代を過ごし、二枚目として売り出すも全く芽が出ない。そんな彼を一躍時代劇のスターに押し上げたのは、皮肉にも「悪」の役柄だった。『不知火検校』で悪僧を演じ、その破天荒な魅力が炸裂したのである。そして、その共演者の中に、彼の人生を大きく変える女性がいた。中村玉緒との出会いが、勝新太郎に新たな転機をもたらすことになる。
基本プロフィール
| フリガナ | かつ しんたろう |
|---|---|
| 生年月日 | 1931年11月29日 |
| 出身地 | 東京市深川区・(現・東京都江東区) |
| ジャンル | 俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範 |
三味線師範からジェームズ・ディーンへ
あの豪快な笑いと破天荒な生き様で知られる勝新太郎、その原点は三味線の音色にあった。深川の芸者に稽古をつける十代の若き師匠、二代目杵屋勝丸。彼が銀幕のスターになるとは、当時誰が想像しただろうか。転機はアメリカ巡業中の出来事だ。ハリウッドの撮影所で出会ったのは、反逆の象徴ジェームズ・ディーン。その衝撃的な演技に魂を揺さぶられた勝は、三味線の撥を置き、映画俳優への道を突き進むことを決意するのである。
大映京都撮影所に飛び込んだ23歳の勝に待っていたのは、厳しい現実だった。社長の永田雅一に可愛がられ、白塗りの二枚目として売り出されるも、同世代の市川雷蔵や若尾文子の華々しい活躍の陰で、彼の主演作はことごとく不発。映画館の館主からは「勝の主演はやめてくれ」と苦情が寄せられるほど、人気は遠かった。長谷川一夫を彷彿とさせるメイクも、彼にはただの重荷でしかなかったのだ。
しかし、1960年、『不知火検校』で野心的な悪僧を演じた時、風向きが変わった。それまでの二枚目イメージを打ち砕くような強烈な悪役ぶりが、観客の度肝を抜いたのである。この作品で共演した中村玉緒との恋も実り、公私ともに新たな局面を迎える。そして運命の『座頭市物語』へと続く道筋が、ここから鮮やかに描かれ始めるのだ。
不知火検校から座頭市へ
勝新太郎の名を一躍スターダムに押し上げたのは、あの盲目の浪曲師、座頭市だった。しかし、彼がその役にたどり着くまでには、長く苦しい下積みの時代があった。大映入社後、社長の寵愛を受けながらも、白塗りの二枚目役では全く人気が出ず、主演作の不人気を嘆く映画館主の声さえ上がるほどだった。彼の運命を変えたのは、1960年の『不知火検校』での悪僧役である。それまでのイメージを打ち破る野心的な演技が、ようやく観客の心を掴んだのだ。
そして1962年、『座頭市物語』が公開される。盲目ながら剣の達人である市を演じた勝は、もはや二枚目でも悪役でもない、圧倒的な存在感を放つキャラクターを創り上げた。飄々とした愛嬌と、一瞬で局面を変える凄み。その絶妙なバランスが、シリーズを国民的大ヒットへと導く。彼の座頭市は、単なる時代劇のヒーローを超え、一種の神話となったのである。
歌手としても「座頭市の唄」をヒットさせ、やがて自らのプロダクションを立ち上げて製作にも乗り出す。晩年は健康を害しながらも、役者として、またプロデューサーとして、時代劇の灯を絶やさぬよう情熱を燃やし続けた。数々のスキャンダルを起こしながらも愛された、豪放磊落なその生き様こそが、彼の最大の代表作だったと言えるだろう。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 1990 | 浪人街 |
| 1989 | 阿修羅 |
| 1989 | 今夜不設防 |
| 1989 | 座頭市 |
| 1988 | 帝都物語 |
| 1983 | 女たちの大坂城 |
| 1983 | 迷走地図 |
| 1980 | 警視-K |
| 1978 | The Blind Swordsman |
| 1975 | 痛快!河内山宗俊 |
| 1974 | 無宿 やどなし |
| 1974 | 座頭市物語 |
| 1974 | 悪名 縄張荒らし |
| 1974 | 御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判 |
| 1973 | 海軍横須賀刑務所 |
| 1973 | 唖侍鬼一法眼 |
| 1973 | 御用牙 かみそり半蔵地獄責め |
| 1973 | 王将 |
| 1973 | 新座頭市物語・笠間の血祭り |
| 1972 | 御用牙 |
| 1972 | 新座頭市物語・折れた杖 |
| 1972 | 新兵隊やくざ 火線 |
| 1972 | 座頭市御用旅 |
| 1971 | いのちぼうにふろう |
| 1971 | 顔役 |
| 1971 | 狐のくれた赤ん坊 |
| 1971 | 男一匹ガキ大将 |
| 1971 | 新座頭市 破れ!唐人剣 |
| 1970 | 喧嘩屋一代 どでかい奴 |
| 1970 | 座頭市あばれ火祭り |
カツライスと勝プロダクションの真骨頂
あの豪快な座頭市のイメージを覆す、勝新太郎の意外な素顔を知っているだろうか。彼は実は、十代で長唄三味線の名取となり、深川の芸者に稽古をつけるほどの三味線師範だったのだ。その繊細な芸の裏腹に、映画俳優を志したきっかけは、アメリカ巡業中に出会ったジェームズ・ディーンの反骨精神に触れたことにある。二枚目として売り出されるも不人気で、館主から苦情が来るほどの暗黒時代を経て、彼を救ったのは『不知火検校』での悪僧役だった。ここで、彼は生涯の伴侶となる中村玉緒と出会うのである。
大映の屋台骨を市川雷蔵とともに支えた「カツライス」時代、彼が築いた最大の金字塔は『座頭市』シリーズだろう。盲目の浪速者・市のキャラクターは、彼の豪放磊落な人柄と相まって、国内外で圧倒的な人気を博した。歌手としても「座頭市の唄」をヒットさせ、まさにマルチな才能を発揮する。しかし、彼の真骨頂は俳優業の枠を超えていた。1967年に設立した勝プロダクションでは、自ら製作・監督・脚本を手がけ、『顔役』のような実験的な映画文法に挑戦する一方で、『子連れ狼』や『御用牙』といった漫画原作の娯楽作品も手掛けるバランス感覚を見せつけた。
さらに驚くべきは、彼の人材育成眼の確かさだ。デビュー2年の松平健を弟子にし、『座頭市物語』で鍛え上げた末に、『暴れん坊将軍』の主演に抜擢する。この慧眼が、後の長寿時代劇シリーズを生み出す礎となったのである。数々の受賞歴よりも、彼の残した真の遺産は、自らが切り拓いた役者の道と、育てた後進の活躍にあると言えるだろう。晩年までテレビ版『座頭市』の製作に情熱を燃やしたその姿は、まさに映画界の「顔役」そのものだった。