「親に内緒で応募したオーディションが、すべての始まりだった」。1972年、受験勉強中のラジオから流れた吉田拓郎の声が、秋吉久美子の運命を変える。主役は逃したものの、その一瞬の決断が、日本映画史に強烈な個性を刻む女優の誕生を告げたのだ。
基本プロフィール
| フリガナ | あきよし くみこ |
|---|---|
| 生年月日 | 1954年7月29日 |
| 出身地 | 静岡県富士宮市 |
| 身長 | 162cm |
| 血液型 | O型 |
| 所属事務所 | Office AK |
| ジャンル | 女優 |
深夜ラジオが変えた運命のオーディション
深夜のラジオが、彼女の人生を一変させた。高校三年の秋吉久美子が受験勉強の合間に聴いていたのは、吉田拓郎の『パックインミュージック』。そこで流れた、映画『旅の重さ』のヒロイン募集の話が、すべての始まりだった。親に内緒で応募したオーディション。主役の座は目前で逃したものの、自殺する文学少女という端役で映画初出演を果たす。撮影現場の空気は彼女の肌に合っていたが、その時はまだ、女優になろうとは思っていない。大学進学を目指し、再び受験勉強に戻ったのである。
しかし、大学受験の失敗は彼女に大きな挫折を与える。浪人生活に虚しさを感じ、予備校をさぼりがちになっていた頃、たまたま観た街頭アングラ演劇「はみだし劇場」が心を揺さぶった。その衝動が、彼女を劇団関係者のもとへ、そして上京へと駆り立てる。赤福もちのCMを皮切りに、1973年、松本俊夫監督の『十六歳の戦争』で「秋吉久美子」として主演デビューを飾る。だがこの作品は難解を理由に公開が遅れ、彼女の名を一躍知らしめたのは、1974年の藤田敏八監督『赤ちょうちん』であった。どこか不思議な魅力をたたえたその存在感は、シラケ世代の新しいアイコンとして、時代に強烈な印象を刻みつけることになる。
『赤ちょうちん』で駆け上がったシラケ世代のアイコン
深夜のラジオが、彼女の運命を変えた。受験勉強中の高校三年生、秋吉久美子が耳にしたのは、吉田拓郎が語る映画『旅の重さ』のヒロイン募集の話だった。内緒で応募したオーディションは、主役こそ逃したものの、その一瞬の決断が銀幕への扉を開ける。
本格的なデビュー作『十六歳の戦争』は難解を理由に公開が遅れ、彼女を待ち受けていたのは藤田敏八監督の『赤ちょうちん』である。どこかとらえどころのない、しかし強烈な存在感でスクリーンを支配し、一気に時代の寵児へと駆け上がった。続く『妹』、『バージンブルース』でその地位を確固たるものにする。70年代の「シラケ世代」の心情を、可憐でありながらもどこか危うい魅力で体現したのだ。日産チェリーのCMで流れる「クミコ、君を乗せるのだから…」の言葉は、まさに時代が彼女に託した期待そのものだった。
結婚・出産を経て復帰後は、そのイメージを一新する。『の・ようなもの』でのソープ嬢役、『異人たちとの夏』での不思議な女性役と、複雑な内面を宿した大人の女へと変貌を遂げた。かつての無邪気な脱ぎっぷりは、深遠な性愛を表現する演技力へと昇華していくのである。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2024 | ル・ジャルダン へようこそ |
| 2023 | かぞく |
| 2023 | フィクサー |
| 2020 | 知らなくていいコト |
| 2019 | 笑顔の向こうに |
| 2017 | カーラヌカン |
| 2016 | 愛おしくて |
| 2014 | 風邪 |
| 2013 | インターミッション |
| 2012 | 女優 |
| 2012 | 「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ |
| 2012 | 不良少年 3,000人の総番 |
| 2011 | 地球征服アパート物語 |
| 2007 | 悪魔が来りて笛を吹く |
| 2006 | のだめ カンタービレ |
| 2005 | 電車男 |
| 2004 | 透光の樹 |
| 2004 | 稲垣吾郎の金田一耕助シリーズ |
| 2003 | 青の炎 |
| 2003 | スカイハイ |
| 2002 | 十七歳 |
| 2001 | 茂七の事件簿 ふしぎ草紙 |
| 2001 | 月の砂漠 |
| 2001 | ムコ殿 |
| 2001 | 死びとの恋わずらい |
| 2000 | いちど死んだ妻 |
| 1999 | 淀川長治物語神戸篇 サイナラ |
| 1999 | 恋の奇跡 |
| 1999 | ケイゾク |
| 1998 | 家康が最も恐れた男 真田幸村 |
文学少女から世界が認めた女優への変貌
深夜のラジオが、彼女の運命を変えた。高校3年の秋吉久美子は、受験勉強の合間に聴いた吉田拓郎の番組で、映画『旅の重さ』のヒロイン募集を知る。内緒で応募したオーディションは、主役こそ逃したものの、その独特の存在感はたちまち関係者の目を釘付けにしたのだ。
1974年、藤田敏八監督の『赤ちょうちん』で鮮烈なデビューを飾ると、もはや時代は彼女を待っていた。繊細でどこか危うげな美しさ、そして従来の日本映画を軽やかに飛び越えるような大胆な演技は、シラケ世代の心を鷲掴みにする。『妹』、『バージンブルース』と立て続けにヒットを飛ばし、ゴールデンアロー賞映画新人賞を総なめにしたのは、当然の成り行きだったと言えるだろう。
しかし、彼女の真骨頂は、少女の輝きを脱ぎ捨てた後にこそ発揮された。結婚・出産を経て復帰後は、深みを増した美貌と演技力で、より複雑な役柄を次々とものにしていく。1987年の『夜汽車』でのブルーリボン賞助演女優賞受賞は、その証左に違いない。そして2013年、モナコ国際映画祭主演女優賞という栄冠は、日本のみならず世界が彼女の実力を認めた瞬間であった。
意外なのは、その文学的才能だ。高校時代は文芸部長を務め、鋭い感性で綴ったエッセイ集も出版している。今では自らの名を冠した「秋吉久美子賞」を設け、アマチュア詩人の育成に尽力する一面を持つ。ラジオから始まった物語は、映画を超え、文学にまでその幅を広げているのである。