「普通の女の子でも歌手になれるのか」。テレビ画面に映る同い年の森昌子の姿に、中学三年生の岩崎宏美は衝撃を受けた。その瞬間、剣道に打ち込み、水谷八重子の部屋子として雑務をこなしていた少女の運命は大きく動き出す。やがて彼女は『スター誕生!』の舞台で、小坂明子の「あなた」を歌い、8社のプラカードを上げる。それは、圧倒的な歌唱力で昭和の歌謡史にその名を刻む、国民的歌手の誕生の瞬間だった。

森昌子に衝撃、スター誕生!最優秀賞

「普通の女の子でも歌手になれるのか」。テレビに映る同い年の森昌子の姿に、15歳の岩崎宏美は衝撃を受けた。深川の製材所を営む家に生まれ、剣道に打ち込む少女の心に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。

音楽教師に勧められて始めた合唱。長野の宿舎で偶然耳にしたジャクソン5の「ABC」に心を奪われた。歌手への憧れは、確かな意志へと変わっていく。しかし、芸能界への入り口がわからない。そんな彼女を救ったのは、中学校の同級生との縁だった。伝説的女優・水谷八重子の部屋子となり、舞台裏で雑務をこなす日々。高校生になったら舞台に出てもいい、という言葉が、彼女を支えた。

『スター誕生!』への応募曲は、師匠・松田トシの助言で小坂明子の「あなた」に決まった。その歌声は、1974年7月17日の決戦大会で最優秀賞を勝ち取る。スカウトのプラカードが上がり、感極まって言葉を詰まらせる少女の姿が、強烈な印象を残した。面接で「顔がでかいな」と言われ、おでこを隠す「ぱっつんヘア」が、彼女のトレードマークとなる。

1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に『二重唱(デュエット)』でデビューを果たす。しかし、真の転機は2枚目のシングル『ロマンス』が到来した時だ。90万枚近い大ヒットは、彼女を一気にスターダムへと押し上げ、紅白歌合戦初出場をトップバッターで飾るという栄誉をもたらした。剣道に打ち込んだ少女が、まさに天まで響く歌声で日本の歌謡界を震撼させたのである。

デビュー即紅白、ロマンスと聖母たちのララバイ

「普通の女の子でも歌手になれるのか」。テレビ画面に映る同い年の森昌子の姿に、15歳の岩崎宏美は衝撃を受けた。その瞬間が、『スター誕生!』への応募を決意させた。審査員でもあった師・松田トシの助言で小坂明子の「あなた」を歌い、最優秀賞を勝ち取る。スカウトのプラカードが上がる光景に感極まり、挨拶の言葉さえ詰まってしまうほど、彼女の夢は現実へと急転換した。

デビュー曲「二重唱(デュエット)」からわずか数ヶ月、2枚目のシングル「ロマンス」が90万枚近い大ヒットを記録する。圧倒的な歌唱力と、どこか儚げな少女の面影を併せ持つ彼女の歌声は、たちまち国民的な支持を集めた。紅白歌合戦にはデビュー同年、紅組トップバッターという栄誉とともに初出場を果たす。まさに「天まで響け」というキャッチフレーズがふさわしい、彗星のごときデビューだった。

しかし、彼女の真骨頂はバラードにある。1977年の「思秋期」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、叙情的な歌い手としての地位を確立する。そして、1982年に発表された「聖母たちのララバイ」は、ドラマ主題歌として爆発的な支持を得て80万枚を売り上げ、日本歌謡大賞に輝いた。この曲は、彼女の透明感のある声質と、深い情感を込めた表現力が最高度に融合した傑作と言えるだろう。

剣道を嗜んだ芯の強さと、少女のような可憐さ。その二面性が、彼女の歌声に独特の深みと広がりを与えている。デビューから半世紀近く経た今も、岩崎宏美の歌声は時代を超えて人々の心に静かに、そして確かに響き続けている。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2016 がっぱ先生!
2014 地の塩
2011 ミエルオンナ月子~真夏の夜のコワーイ話~
2007 難波金融伝ミナミの帝王37 土俵際の伝説
2007 難波金融伝 ミナミの帝王36 仕組まれた結婚
2006 難波金融伝 ミナミの帝王35 銀次郎VS夜逃げ屋
2006 間宮兄弟
2006 難波金融伝 ミナミの帝王34 ブランドの重圧
2006 難波金融伝 ミナミの帝王33 野良犬の記憶
2005 難波金融伝 ミナミの帝王32 金になる経歴
2005 難波金融伝 ミナミの帝王31 賠償金の行方
2005 難波金融伝 ミナミの帝王30 破産の葬列
2004 Tales of the Bizarre: 2004 Fall Special
2003 流転の王妃・最後の皇弟
2001 東野圭吾ミステリー「悪意」
2001 ザ・フィアー
2000 郡上一揆
1999 痛快!三匹のご隠居
1996 ふたりっ子
1994 青空に一番近い場所
1989 千羽づる
1988 木村家の人びと
1987 男女7人秋物語
1985 夜叉
1984 刑事
1971 仮面ライダー

ぱっつんヘアの秘密と感極まった瞬間

「普通の女の子でも歌手になれるのか」。テレビに映る同い年の森昌子の姿に、少女は衝撃を受けた。その瞬間、岩崎宏美の運命は動き始める。

彼女のデビューは、まさに「天まで響け」というキャッチフレーズにふさわしい快進撃だった。1975年、『二重唱(デュエット)』で鮮烈なスタートを切り、わずか2枚目のシングル『ロマンス』が90万枚近い大ヒットを記録。数々の新人賞を総なめにし、同年の紅白歌合戦には紅組トップバッターとして初出場を果たした。世間は一気にこの圧倒的な歌唱力を持つ十代の少女に沸いたのである。

しかし、その華々しいデビューの陰には、意外なほどの等身大のエピソードが隠されている。『スター誕生!』決戦大会で歌唱を終えた直後、彼女は「一生懸命歌いました。どうぞよろしくお願いします」と言おうとした。ところが、スカウトマンが動き出すのを見て、プラカードが上がりそうだと瞬間的に理解し、感極まって「どうぞよろしく…」と言葉が詰まってしまったという。トップスターへの階段を駆け上がる直前の、ごく普通の15歳の少女の、無垢な感動の一瞬だった。

もう一つ、彼女のトレードマークである「前髪ぱっつんヘア」にも、こんな秘話がある。『スター誕生!』予選会ではおでこを出して出場したが、デビュー前の面接で担当者から「顔がでかいな」と言われたのだ。そこで、おでこを隠すためにあの髪型になったという。天才的な歌声の持ち主も、デビュー前にはそんな現実的な指摘にさらされていたのである。

その後も『聖母たちのララバイ』が80万枚を超える大ヒットとなり、日本歌謡大賞を受賞するなど、不動の地位を築いていく。しかし、彼女のルーツは警察の師範も務めた父の影響で、幼い頃から姉妹で剣道を習っていたという、一見歌手とは結びつきにくいものだ。音楽教師の勧めで合唱団に入り、小学5年生の校外学習で偶然ジュークボックスから流れたジャクソン5の「ABC」に衝撃を受けて歌手を志す。その一方で、中学時代には芸能界の入り口がわからず、同級生の縁で先代・水谷八重子の部屋子(役者見習い)として雑務をこなしていた時期もあった。

輝かしい受賞歴とヒット曲の陰には、チャンスを掴むための少女のひたむきな努力と、いくつもの偶然が重なっていた。岩崎宏美の歌声は、天賦の才だけでなく、そうした地に足のついた歩みの上に、確かに築かれたものなのである。

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