「姉の履歴書でジャニーズに入った」という衝撃の事実から、安田章大の物語は始まる。本人は全く乗り気ではなかったというから、運命の皮肉は計り知れない。あのオーディション会場には、後に共に伝説を築く丸山隆平や錦戸亮の姿もあった。彼らはまだ知らない。この出会いが、やがて関西から日本を席巻する一大グループの礎となることを。

基本プロフィール

フリガナ やすだ しょうた
生年月日 1984年9月11日
出身地 兵庫県尼崎市
身長 164.5cm
血液型 A型
所属事務所 ジャニーズ事務所(1997年 - 2023年)・SMILE-UP.(2023年 - 2024年)・STARTO ENTERTAINMENT(2024年 - )
ジャンル 歌手、ギタリスト、俳優

姉の密かな応募が生んだ反骨のギタリスト

姉の密かな行動が、安田章大の人生を一変させた。当時、嵐の相葉雅紀に夢中だった姉が、中学1年生の弟の履歴書をこっそりジャニーズ事務所に送り出したのだ。本人は乗り気ではなかったが、母親の「どうせ受からへんのやから」という一言に反発心を燃やし、オーディション会場へと足を運ぶ。その場には、後に運命を共にする丸山隆平や錦戸亮の姿もあった。合格の知らせは、彼を芸能界という大海原へと放り込んだ。

関西ジャニーズJr.として研鑽を積む日々。彼は次第に音楽への情熱に目覚め、バンド形式のグループV.WESTではリーダー兼ギターを担当する。その音楽性は、後に結成される関ジャニ∞の核となっていく。2004年、『浪花いろは節』でCDデビューを果たすが、その道のりは決して平坦なものではなかった。しかし、彼の内に秘めた「音」へのこだわりが、グループに独自の色彩を与えていく。

脳腫瘍と向き合い『LIFE IS』を昇華

姉の密かな応募で始まった芸能界入り。安田章大のキャリアは、本人の意思とは無関係に動き出したと言っても過言ではない。しかし、その後の歩みは、彼自身の確固たる意志と音楽への情熱が彩るものだった。

バンド形式のグループ・V.WESTでギターを握り、リーダーを務めた経験は、後のSUPER EIGHTにおけるメインボーカル兼リードギターという核となるポジションの礎となった。2004年の『浪花いろは節』でのCDデビューは、関西発のエネルギーを全国に轟かせる大きな一歩だった。だが、彼の真骨頂は、グループの枠を超えたソロ活動にある。2006年のソロコンサート開催は、アーティストとしての自立心の表れであり、その後も一人舞台『818』で五役を演じきるなど、表現者としての貪欲な探求心を見せつけた。

2017年に公表された脳腫瘍「髄膜腫」との闘病は、彼の人生を大きく変えた。手術の後遺症である光過敏と向き合い、色付き眼鏡は欠かせないパートナーとなった。しかし、彼はこの逆境を単なる障害とは捉えなかった。自身の経験を写真集『LIFE IS』に昇華させ、さらには眼鏡ブランドとのコラボレーションで自らデザインを監修するなど、困難を新たな創造の源泉へと変えてみせたのだ。

近年では、2025年にソロで音楽フェスに出演し、2026年には自ら発起人となる音楽フェスを開催予定と、ミュージシャンとしての活動もさらに幅を広げている。安田章大の魅力は、与えられた環境で咲かせた才能と、人生の試練を芸術へと変換する強靭な精神にある。彼の歩みは、単なるアイドルの軌跡を遥かに超え、一人の人間が如何に自らの道を切り拓くかを物語っている。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2026 平行と垂直
2023 嘘八百 なにわ夢の陣
2022 KANJANI∞ STADIUM LIVE 18祭
2022 Road to Re:LIVE 8BEAT
2022 SUPER EIGHTのあとはご自由に
2020 関ジャニ∞クロニクルF
2016 スキャナー 記憶のカケラをよむ男
2016 フラジャイル
2014 エイトレンジャー2
2013 ばしゃ馬さんとビッグマウス
2013 なるようになるさ。
2013 夜行観覧車
2012 エイトレンジャー
2012 ドラゴン青年団
2012 Dragon Seinendan
2012 もう誘拐なんてしない
2011 関ジャニの仕分け
2010 8UPPERS
2009 Countdown Eito 2009-2010
2009 0号室の客
2009 ROMES 空港防御システム
2007 関ジャニ∞のジャニ勉

色付き眼鏡が語る闘病と強さの美学

彼の優しい笑顔の裏には、壮絶な闘病の記憶が刻まれている。SUPER EIGHTの安田章大は、ステージでギターを弾き、力強い歌声を響かせるアーティストだ。しかし、彼が色付きの眼鏡を外すことはほとんどない。あの眼鏡は、単なるファッションアイテムではない。2017年に患った脳腫瘍「髄膜腫」の摘出手術後、光に過敏になる後遺症「光過敏」と向き合うための、彼の“武器”なのだ。

強烈な光を浴びれば吐き気やめまいに襲われ、視界には砂嵐が舞う。そんな状況下でも、彼はステージに立ち続けた。後遺症による転倒で背骨を圧迫骨折した苦難さえも、自身の初写真集『LIFE IS』のテーマに昇華させてしまう。その経験から生まれたのが、自らデザインを監修したサングラスブランドとのコラボレーションだ。苦しみを、誰かの役に立つ形へと変えるその発想力こそ、彼の真骨頂と言えるだろう。

彼の芸能界入りは、ある“反抗心”がきっかけだった。中学1年の時、姉が密かにジャニーズ事務所に送った履歴書が通過。乗り気ではなかった安田に、母親が「どうせ受からへんのやから」と囁く。その一言に反発し、オーディションを受験したのである。その場には、後の相棒となる丸山隆平や錦戸亮の姿もあった。運命の糸は、すでに絡み合い始めていたのだ。

バンド形式のグループでギターを握り、リーダーを務めた経験は、彼の音楽性の礎となった。2025年には日本最大級のギター弾き語りフェスにソロ出演を果たし、2026年には自ら発起人となる音楽フェスを開催予定だ。アーティストとしての情熱は、ますます加速している。

グループ内では「関ジャニの母」と称されるほど、穏やかで思いやりのある人物だ。しかし、その内側には、病と闘い、音楽で挑戦を続ける、鋼の意志が宿っている。安田章大というアーティストは、優しさと強さが不思議に調和した、唯一無二の存在なのである。

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