今田耕司は、かつて「日本一若い店長」を目指してラーメン屋で働いていた。その腕前は、今でも野菜の千切りが得意なほどだ。しかし、彼の人生は、全寮制高校からの脱走劇や寿司職人への夢破れるなど、波乱に満ちていた。そんな彼が、軽い気持ちで入学したNSCで、やがてお笑い界の重鎮となるとは、誰が予想しただろうか。
基本プロフィール
| 出身地 | 大阪府大阪市天王寺区 |
|---|---|
| 身長 | 174cm |
| 血液型 | A型 |
| 所属事務所 | 吉本興業 |
寺の息子からNSCへ 反骨の青春
あの軽妙なトークで数々の番組を仕切る今田耕司の原点は、破天荒な青春の果てにあった。寺の息子でありながら、中学時代には家出を企て、全寮制の高校からは「プリズン・ブレイク」さながらの脱走を試みる。自由を求めるその反骨精神は、当時から並々ならぬものだった。結局、高校は定時制に移り、昼はラーメン屋で「日本一若い店長」を夢見て働き、夏は宮崎の実家でサーフィンに明け暮れる。寿司職人や美容師の道も考えたが、肌が弱く水仕事に向かないと医者に宣告され、将来に迷っていた。
そんな彼の目に留まったのは、学費わずか5万円の吉本総合芸能学院(NSC)のチラシだった。「昔からお笑いも好きやし」という軽い気持ちで飛び込んだ世界で、彼は運命的な出会いを果たす。同期には130R(ほんこん・板尾創路)や桂茶がまがおり、そこでコンビ「ダブルホルモンズ」を結成する。しかし、ネタ合わせにすらまともに現れない今田にほんこんが激怒し、コンビはわずかで解散。ピン芸人として再出発を余儀なくされた。
転機は、ピンになって初めて書いた「才能のない構成作家のオーディション」というネタが、ちょうどオープンしたばかりの2丁目劇場の前座オーディションを突破したことだ。そこで爆笑を買ったのが、当時まだ無名だったダウンタウンだった。そして1986年、京都花月での劇場デビュー。そこで意気投合したのが、生涯の盟友となる東野幸治である。この出会いが、やがて伝説の深夜番組『4時ですよーだ』へと彼を導くことになる。一見、順風満帆に見えた下積み時代だが、その裏には数々の挫折と決断が潜んでいたのである。
『4時ですよーだ』で開花した司会者としての才能
今田耕司の名が全国区になったのは、深夜の伝説的番組『4時ですよーだ』がきっかけだ。当時、吉本新喜劇の若手として舞台を踏んでいた彼は、東野幸治との抜群のコンビネーションで視聴者を爆笑の渦に巻き込んだ。番組内で繰り広げられた「今ちゃんの実家はお寺」というネタは、彼の等身大のキャラクターを浮き彫りにし、一気に親近感を獲得する武器となった。あの軽妙なトークと絶妙な間は、生まれながらの司会者としての才能を感じさせずにはいられない。
その後、『正解るんです』で東野とのコンビはさらに磨きがかかり、関西圏で熱狂的な支持を集める存在となる。彼の真骨頂は、どんな場でも空気を読み、流れを自在に操る司会力にある。バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』では、時には辛辣なツッコミ役として、時には体を張った企画の要として番組を支え続けた。長寿番組『今ちゃんの「実は…」』では、知的好奇心をくすぐるトークで司会者としての新たな一面を見せつけている。
寺の息子という意外な生い立ち、そしてラーメン屋での修行時代が培ったしたたかさと人間味。今田耕司の魅力は、そんな「等身大の大阪のおっちゃん」というキャラクターを核に、時代に合わせて柔軟に形を変えながら進化し続けるところにある。彼はまさに、お笑い界を代表する司会者として不動の地位を築いたのだ。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2022 | DOSUKOI Sumo Salon |
| 2022 | オハ!よ〜いどん |
| 2020 | バチェロレッテ・ジャパン |
| 2020 | 大相撲どすこい研 |
| 2020 | 八王子ゾンビーズ |
| 2018 | Imada x Higashino no Carigyura |
| 2018 | 吉本坂46が売れるまでの全記録 |
| 2012 | 特盛よしもと |
| 2011 | 犬の首輪とコロッケと |
| 2008 | アナザースカイ |
| 2008 | 今ちゃんの『実は・・・』 |
| 2007 | 爆笑レッドカーペット |
| 2005 | 蝉しぐれ |
| 2004 | マインド・ゲーム |
| 2003 | ライオン先生 |
| 2003 | ぼくんち |
| 2002 | ナイトホスピタル〜病気は眠らない〜 |
| 2002 | ギブリーズ episode2 |
| 2001 | M-1グランプリ |
| 2001 | 聖徳太子 |
| 2000 | 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル |
| 1996 | 将太の寿司 |
| 1994 | 開運!なんでも鑑定団 |
| 1991 | ダウンタウンのごっつええ感じ |
| 1991 | オールスター感謝祭 |
| 1990 | オールザッツ漫才 |
ダウンタウンとの出会いが運命を変えた
今田耕司のルーツは、大阪の寺の息子にあった。本門法華宗の道善寺で育ち、父親は会社員と住職を兼業するという異色の環境。だが彼は、生真面目な僧侶の道など微塵も考えていなかった。むしろ、西川のりおに憧れる無邪気な少年時代を経て、高校では「プリズン・ブレイク」さながらの脱走劇を繰り広げる問題児だったという。
定時制高校に通いながらラーメン屋で働き、野菜の千切りを極めた職人気質。寿司職人か美容師を目指したが、肌が弱く水仕事に向かないと断念。途方に暮れた末に目をつけたのが、学費わずか5万円のNSCだった。「昔からお笑いも好きやし」という軽い気持ちで飛び込んだ先で、ほんこんと「ダブルホルモンズ」を結成。しかしネタ合わせをサボり続け、コンビはわずかで解散。ピン芸人として書いた初ネタで劇場の前座オーディションに合格し、ここでダウンタウンと出会う。松本人志の芸への姿勢に憧れ、浜田雅功の司会力に衝撃を受けた。彼らが「おもろいな」と笑ってくれた一言が、全ての始まりだった。
その後、東野幸治との出会いが運命を変える。『4時ですよーだ』で火花を散らし、吉本新喜劇では座長も務めた。1991年『正解るんです』では、深夜ローカルながら熱狂的なカルト的人気を獲得。司会者としての地位を確立し、数々の賞レースの司会を任されるようになる。1996年にはドラマ『いつかまた逢える』で第6回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞、お笑い以外の演技力も証明してみせた。
寺の息子から脱走少年、ラーメン店員を経て、軽い気持ちで入ったNSCで時代を築く芸人へ。今田耕司の半生は、常識破りの連続だった。