彼女はバレエ留学で「醜いアヒルの子」と自覚し、挫折した。その後の女優人生も、順風満帆とは程遠いものだった。桃井かおりは、常に「逃げる」ことで自らの道を切り拓いてきた稀有な存在である。パチンコ屋でのスカウトをきっかけに映画デビューを果たすも、出演作の撮影で傷つき、実際に広島へと逃避行。父に勘当され、劇団を飛び出し、それでもなお演技の道にしがみついた。その背景には、完璧を求める芸術家の家庭に育ちながら、自らを「普通」と規定する、複雑な葛藤があったに違いない。

基本プロフィール

フリガナ ももい かおり
生年月日 1951年4月8日
出身地 東京都世田谷区別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.83.
身長 162cm
血液型 O型
ジャンル 女優、映画監督

バレエ挫折から文学座へ、アンニュイの誕生

彼女の人生は、3歳で始めたバレエに全てを捧げるはずだった。東京都世田谷区の恵まれた家庭に生まれた桃井かおりは、中学生で単身イギリス・ロイヤル・バレエ・アカデミーに留学する。しかし、そこで待っていたのは「みにくいアヒルの子」という残酷な現実だった。白人の生徒たちの中に埋もれ、自らの容姿に劣等感を抱き、夢はあえなく挫折する。

帰国後、バレエ団に所属しながらも、大学受験に失敗。バレエの契約が切れると同時に、両親に内緒で文学座付属演劇研究所の門を叩いた。周囲の熱心な演劇論についていけなかった彼女が身につけたのは、独特の「倦怠感」と「アンニュイ」な佇まいだった。後に彼女自身が「生きる道がなかった」と語るその手口が、やがて彼女の最大の武器となる。

1971年、パチンコ屋でスカウトされたという逸話が示すように、彼女のデビューはどこか浮世離れしていた。映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』でヒロインを演じるが、共演者からの厳しい指導に傷つき、撮影後は広島・江田島へと逃避行する。その出演が両親に知られ、勘当を言い渡された彼女は家を出る。新聞の伝言欄に載った「かおり許す、父」の一文で家には戻れたが、もはや平凡な娘の生活には戻れなかった。女優として生きる決意が、そこで固まったのである。

『幸福の黄色いハンカチ』で開花した可塑性

桃井かおりの名が一躍知れ渡ったのは、1975年放送の連続ドラマ『前略おふくろ様』での海役に他ならない。それまで気怠げでアンニュイな役柄を多く演じてきた彼女が、明るく健気な娘を演じきり、一気に国民的な人気を獲得したのだ。しかし、そのブレイクの裏には、バレエ留学での挫折、文学座での孤独、そして腎臓結核による生死の境といった数々の試練が横たわっていた。

彼女の真骨頂は、『幸福の黄色いハンカチ』で発揮された。山田洋次監督は、それまでの「桃井かおり像」を覆す、無垢でひたむきな女性・朱美を彼女に託す。その演技は、これまでの倦怠感漂うイメージを一掃し、日本アカデミー賞助演女優賞という栄誉をもたらした。彼女の内に潜む可塑性の高さを世に知らしめた瞬間である。

その後、単身ニューヨークへ渡るという大胆な行動も、彼女の芸への貪欲さを物語っている。帰国後、脚本家・早坂暁の「白いごはんのような俳優になりなさい」という言葉に触発され、『花へんろ』の静子役でカムバックを果たす。12年に及ぶ長期連続出演は、彼女の役者としての深みと持続力を証明した。桃井かおりのキャリアは、常識や型破り、そして復活の連続だ。一つのイメージに収まらない彼女の魅力こそが、半世紀にわたり観客を惹きつけてやまない所以であろう。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2025 イカれてる⁈
2022 優作について私が知っている二、三の事柄
2022 CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ
2022 宇宙でいちばんあかるい屋根
2020 一度も撃ってません
2019 おちをつけなんせ
2019 のんたれ
2019 詐欺の子
2018 遠藤憲一と宮藤官九郎の勉強させていただきます
2017 ふたりの旅路
2017 La habitación
2017 ゴースト・イン・ザ・シェル
2016 Grüße aus Fukushima
2016 火 Hee
2015 Greater Things
2015 お江戸のキャンディー
2014 Oh Lucy!
2014 Oki - okeāna vidū
2012 終戦のエンペラー
2012 ヘルタースケルター
2011 3.11 A Sense of Home Films
2011 トリコ3D 開幕!グルメアドベンチャー!!
2010 Amaya
2010 Mitsu no kuri
2009 イエロー・ハンカチーフ
2009 USB
2009 昴 スバル
2008 SCANDAL
2008 夢のまにまに
2007 スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

早坂暁の言葉と「白いごはん」の覚悟

彼女は「みにくいアヒルの子」から、世界を舞台に飛翔する女優となった。

桃井かおりの名を一躍知らしめたのは、1977年の『幸福の黄色いハンカチ』でのヒロイン役だろう。それまで気怠げで妖しい役柄が多かった彼女の、清楚で健気な一面を引き出したこの作品は、第1回日本アカデミー賞助演女優賞など数々の栄誉をもたらす。しかし、その栄光の裏には、3歳で始めたバレエで味わった挫折と、単身イギリス留学で抱いた「醜い」という自己認識があった。そのコンプレックスが、後に「倦怠感」や「アンニュイ」と称される独特の表現力の源泉となったのだ。

文学座時代、演劇論についていけなかった彼女が身につけた「手口」は、やがて唯一無二の武器となる。だが、その道は平坦ではなかった。22歳の時には腎臓結核を患い、片腎を摘出する生死の境を経験する。その復帰作となった『傷だらけの天使』への出演は、萩原健一の強い願いによるものだった。彼女の存在は、既に同世代の俳優たちから強く求められていたのである。

その後、突然のニューヨーク渡航と一時的な引退を経て、彼女を再び役者の道に引き戻したのは、脚本家・早坂暁の「白いごはんのような俳優になりなさい」という一言だった。この言葉に導かれるように主演したNHK連続ドラマ『花へんろ』は、12年にも及ぶ長期シリーズとなり、国民的な愛着を集める作品となっていく。

国内で不動の地位を築いた後、50代で新たな挑戦を始めた。ハリウッド映画『SAYURI』への出演をきっかけに、アメリカ俳優組合に加入し、ロサンゼルスに生活の拠点を移すのである。年齢を重ねてから、あえて未知の世界に飛び込むその姿勢は、かつての「アンニュイ」なイメージからは想像しがたい強靭な精神力を感じさせる。

2022年には旭日小綬章を受章し、2023年には第6回種田山頭火賞を受賞するなど、その活動は演劇の枠を超えて広がり続けている。バレエで傷ついた少女は、世界を舞台に、いまなお新たな役を演じ続けているのだ。

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