あの鼻にかかった甘い声は、一度聞いたら忘れられない。端正な顔立ちで時代を彩った大原麗子は、その生涯で二つの顔を持っていた。東映時代の“不良性感度”を売り物にしたセクシーな女優から、渡辺プロ移籍後は「しっとりとした日本的美人」へと変貌を遂げたのだ。『春日局』で大河ドラマに歴史的な高視聴率をもたらした彼女の裏側には、意外なほどの役者魂が潜んでいた。
基本プロフィール
| フリガナ | おおはら れいこ |
|---|---|
| 生年月日 | 1946年11月13日 |
| 出身地 | 東京都文京区 |
| 血液型 | AB型 |
| ジャンル | 女優 |
和菓子屋の令嬢から東映のスターへ
彼女の甘い声と端正な美貌は、老舗和菓子屋の娘として育った環境が育んだものかもしれない。しかし、大原麗子が最初に思い描いた未来は、スチュワーデスかアナウンサー、観光バスのガイドだった。芸能界への扉は、高校時代に属していた六本木野獣会で、大野伴睦の長男である大野直にスカウトされたことで突然開かれる。18歳でのデビューは、東宝映画『夢で逢いましょ』での端役に始まるが、本格的な転機は1964年、NHKのテレビドラマ『幸福試験』への出演だった。その翌年、東映へ入社した彼女は、佐久間良子主演の『孤独の賭け』で映画デビューを果たす。そして、高倉健主演の『網走番外地 荒野の対決』での存在感が認められ、一気にスターダムへと駆け上がるのだ。和菓子屋の令嬢が、銀幕のヒロインへと変貌を遂げる瞬間であった。
渡辺プロ移籍で開花した春日局の演技
あの甘く鼻にかかった声と、どこか憂いを帯びた美しさは、いかにして生まれたのか。大原麗子のブレイクの裏には、東映という巨大な映画スタジオの、あるいは時代の荒波があった。端正な顔立ちの彼女が、デビュー当初に与えられた役柄は、酒場のホステスやお色気担当が多かった。当時の東映が推し進めた「不良性感度映画」の波に乗りながらも、彼女の内側には、もっと違う何かを演じたいという渇望が潜んでいたに違いない。
転機は1971年、東映との契約が切れた時だ。渡辺プロダクションに移籍した彼女は、テレビドラマを主戦場に、イメージを一変させる。それまでの派手な役柄から、「しっとりとした日本的美人像」へ。その変身は見事で、『おはん』での魔性の女役など、複雑な内面を持つ女性を演じ分けるその演技力は、多くの演出家を唸らせた。
そして、彼女の女優としての頂点が、1989年の大河ドラマ『春日局』である。平均視聴率32.4%という驚異的数字を叩き出したこの作品で、彼女は主人公・春日局の強さと哀しみを見事に融合させ、圧倒的な存在感を示した。脚本家・橋田壽賀子やプロデューサー・石井ふく子らから絶大な信頼を得たのは、単なる美貌だけではない、深みのある演技力があってこそだろう。
サントリーレッドのCMで、和服姿で「すこし愛して、ながーく愛して」と囁いたあの姿は、まさに彼女が築き上げた「日本的美人」の象徴であり、国民的な愛着を生んだ。病と闘いながらも、『SMAP×SMAP』の初回ゲストとして笑いを取るなど、そのチャレンジ精神は衰えを知らなかった。大原麗子の魅力は、時代に翻弄されながらも、己の表現を求め続けた、したたかで繊細な女優の生き様そのものなのである。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 1998 | 徳川慶喜 |
| 1996 | SMAP×SMAP |
| 1994 | 忍ばずの女 |
| 1993 | 愛よ、眠らないで |
| 1992 | チロルの挽歌 |
| 1991 | 源氏物語 |
| 1991 | それからの冬 |
| 1989 | 春日局 |
| 1987 | 源氏物語 |
| 1986 | 新・喜びも悲しみも幾歳月 |
| 1986 | 雨の降る駅 |
| 1984 | 男はつらいよ 寅次郎真実一路 |
| 1984 | おはん |
| 1983 | 居酒屋兆治 |
| 1983 | セカンド・ラブ |
| 1980 | 獅子の時代 |
| 1979 | 女たちの忠臣蔵 |
| 1978 | 男はつらいよ 噂の寅次郎 |
| 1978 | 火の鳥 |
| 1978 | 柳生一族の陰謀 |
| 1977 | あにき |
| 1977 | 獄門島 |
| 1974 | 勝海舟 |
| 1973 | 雑居時代 |
| 1972 | 隼人が来る |
| 1971 | 不良番長 手八丁口八丁 |
| 1971 | 喜劇 トルコ風呂王将戦 |
| 1971 | 開運旅行 |
| 1970 | 経験 |
| 1970 | 大幹部 ケリをつけろ |
サントリーCMに刻まれた甘い声の秘密
あの甘い声と憂いを帯びたまなざしは、なぜか懐かしい。大原麗子の魅力は、端正な美貌の奥に潜む、どこか儚げな陰影にあった。
彼女の芸能界入りは、六本木のスナック「野獣会」でのスカウトがきっかけだ。老舗和菓子屋の娘という生粋の東京っ子が、いわば「夜の街」から発掘されたという事実は、彼女のイメージからは意外だろう。東映では高倉健主演の『網走番外地』シリーズで存在感を示し、看板女優へと駆け上がる。しかし当時の東映が推し進めた「不良性感度映画」の流れの中で、与えられた役柄は酒場のホステスやパンストを穿いた「パンスケ」役が多かった。甘いマスクとは裏腹に、映画会社の戦略に翻弄された時代が確かにあったのだ。
転機は渡辺プロダクション移籍後。テレビドラマで「しっとりとした日本的美人」像を確立し、1989年の大河ドラマ『春日局』では平均視聴率32.4%を記録、歴代3位の大ヒットを生み出す。一方で、そのキャリアを象徴するのがサントリーレッドのCMだ。「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞は、彼女の声質そのものが生んだ名セリフと言える。実は当初、お酒のCM出演を渋った大原は、演出を市川崑に依頼するという条件を出した。結果、短編映画のような芸術性の高いCMが誕生し、10年にわたって放映される国民的CMとなったのである。
彼女の意外な一面は、バラエティ番組にも垣間見える。『ダウンタウンDX』では自らうさぎの着ぐるみを着てコントを演じ、『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」第1回ゲストに登場。大女優のイメージを軽やかに飛び越えるようなサービス精神を見せた。また、東映の同期・小川知子の歌手活動に触発され、自身もレコードをリリースしたが、「歌はヘタなの」と苦笑いするなど、自虐的なユーモアも持ち合わせていた。
演技面での評価は高く、1992年に高倉健と共演したNHKドラマ『チロルの挽歌』ではギャラクシー賞奨励賞を受賞。彼女自身が「生涯の代表作」と語ったこの作品は、その演技が単なる「美人女優」の域を超えていたことを証明している。文化庁芸術祭優秀賞を受けた『こぎとゆかり』や、芸術作品賞受賞作『裸の木』など、数々の受賞歴が、彼女の芸術性の高さを物語っている。
華やかなイメージとは対照的に、彼女の人生はギラン・バレー症候群という難病との闘いでもあった。それでもカメラの前では、あの独特の、鼻にかかった甘い声を失うことはなかった。大原麗子という女優は、光と影、強さと脆さを併せ持った、まさに昭和が生んだ「複雑な美人」だったのである。