「本当に愛した人は三國さんだけ」。女優・太地喜和子は生前、そう公言した。その恋は、映画『飢餓海峡』のロケ地・北海道まで彼を追いかけるほどに激しく、そして純粋だった。しかし、彼女の人生は、愛と芸術と酒に彩られた、あまりにも鮮烈で、そして突然の幕切れを迎える。1992年秋、伊東の海に消えたその48年の生涯は、日本映画史に燦然と輝く、一つの伝説なのである。
基本プロフィール
| フリガナ | たいち きわこ |
|---|---|
| 生年月日 | 1943年12月2日 |
| 出身地 | 東京都中野区 |
| ジャンル | 俳優 |
養女の宿命と志村妙子からの脱却
「私はさる事情から、生後すぐ実母との別離を余儀なくされた」。太地喜和子は後にそう語っている。生まれながらに背負った宿命が、彼女の人生を演じることに向かわせたのかもしれない。
高校在学中、養女であることを知った彼女は、東映ニューフェイスに合格する。志村妙子という芸名でデビューしたが、千葉真一らがひしめくアクションの世界は、彼女の求めるものではなかった。本当の自分を探すように、彼女は東映を離れ、劇団俳優座の門を叩く。
転機は『欲望という名の電車』だった。杉村春子の圧倒的な芝居に衝撃を受けた彼女は、文学座へと移る。そして1967年、日活映画『花を喰う蟲』で主演の座を射止める。その熱演が新藤兼人監督の目に留まり、『藪の中の黒猫』への抜擢へとつながった。全裸もいとわぬその演技は、世間に強い衝撃を与え、一躍、時代の寵児となるのである。
全裸の覚悟で挑んだ『藪の中の黒猫』
彼女の名が一躍世に知れ渡ったのは、一匹の「黒猫」だった。1968年、新藤兼人監督の『藪の中の黒猫』に主演した太地喜和子は、全裸をも厭わない激しい演技で、日本映画界に衝撃を与えたのである。それまで東映で志村妙子として子役や娘役をこなしていた彼女は、この作品で一気に「本物の女優」としての存在感を爆発させたのだ。
そのきっかけを作ったのは、前年主演した日活映画『花を喰う蟲』での瑞々しい演技を新藤監督が高く評価したことにある。文学座に入団し、本格的に舞台修業を積み始めたばかりの彼女に、新藤は過酷な役柄を託した。太地はその期待に見事に応え、官能と狂気の狭間で蠢く女を、肉体を張って演じ切ってみせた。これが彼女の代表作となり、以後のキャリアを決定づけることになる。
彼女の魅力は、何よりもその「生々しさ」にあった。舞台上では「杉村春子の後継者」と称されるほどの実力派でありながら、私生活では奔放な恋愛や酒豪ぶりが週刊誌を賑わせた。芸と生活の境界線を曖昧にし、全てをさらけ出すような生き様が、役柄にも深みを与えていたのだ。代表作『藪の中の黒猫』は、そんな彼女の本質を最も純粋に映し出した作品と言えるだろう。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 1988 | 父 |
| 1985 | 火まつり |
| 1982 | 薩摩飛脚 |
| 1978 | 皇帝のいない八月 |
| 1978 | 怪しの海 |
| 1977 | 新宿馬鹿物語 |
| 1977 | 獄門島 |
| 1976 | 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け |
| 1975 | 資金源強奪 |
| 1974 | 狼よ落日を斬れ |
| 1974 | 悪名 縄張荒らし |
| 1974 | 喜劇 男の腕だめし |
| 1973 | 花と龍・青雲篇、愛憎篇、怒濤篇 |
| 1972 | 新座頭市物語・折れた杖 |
| 1971 | 日本一のショック男 |
| 1971 | 告白的女優論 |
| 1971 | 人間標的 |
| 1971 | 顔役 |
| 1971 | コント55号とミーコの絶体絶命 |
| 1970 | 裸の十九才 |
| 1970 | やくざ絶唱 |
| 1970 | 触角 |
| 1970 | 君が若者なら |
| 1969 | 弾痕 |
| 1969 | ひとりっ子 |
| 1968 | 藪の中の黒猫 |
| 1967 | 花を喰う蟲 |
| 1962 | 鉄火若衆 |
| 1962 | ひばりの母恋いギター |
| 1962 | まぼろし天狗 |
三國連太郎への恋と志村けんファンの顔
彼女の人生は、まさに「藪の中の黒猫」だった。太地喜和子は、全裸もいとわぬその覚悟の演技で一躍脚光を浴びたが、その内面には養子であることへの孤独と、激しい恋愛感情が渦巻いていた。
「本当に愛した人は三國さんだけ」。彼女は公言した。映画『飢餓海峡』のロケを追い、俳優座を辞めてまで北海道に渡るほどだったが、三國連太郎演じる樽見京一郎が愛したのは左幸子の杉戸八重だった。その事実への嫉妬は、雑誌対談でさえも迸るほど激しいものだった。彼女は「帰ったら所帯があると思わせてはいけない」というポリシーを貫き、一度の結婚の後は独身を貫いた。その情熱はすべて舞台へと注がれたのである。
意外なのは、その舞台女優としての厳しい顔の裏にあった、茶目っ気とサービス精神だ。なんと志村けんの大ファンであり、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』では、コントに挑戦するなど、コミカルな一面を存分に披露した。柄本明と共に常連ゲストとなった彼女の姿は、舞台のイメージを覆すものだったに違いない。
彼女の芸は確かな評価を得ていた。NHKの時代劇『おさんの恋』『但馬屋のお夏』での主演は、相次いでギャラクシー賞を受賞。杉村春子の後継者と目された期待に、確かな答えを出していたのである。
しかし、彼女を襲ったのは不慮の事故だった。舞台公演中の伊東で、深夜の車が海に転落。泳げず、深酒をしていた太地喜和子だけが帰らぬ人となった。親友のカルーセル麻紀が舞台上で絶叫した「喜和子ぉ!!」という声は、あまりにも突然の別れを物語っていた。48年の生涯は、激しい愛と芸への執念、そして意外なほどの明るさで彩られた。そのすべてが、今は静かな海の底に沈んでいる。