「裕美」という名の少年は、赤いシャツを着て母の期待を背負った。その少年が、やがて時代を席巻する「郷ひろみ」になるとは、誰が想像しただろうか。数々の病を乗り越え、ジャニー喜多川が弁当を作った高校生活を送り、今なおトップを走り続ける。その半生は、まさに昭和アイドルの金字塔と呼ぶにふさわしい。

基本プロフィール

出身地 福岡県
所属事務所 ジャニーズ事務所(1971年 - 1975年)・バーニングプロダクション(1975年 - )・エヴァーグリーン・エンタテイメント(業務提携)

ジャニー喜多川が見た落選少年の輝き

あの甘いマスクと赤いシャツがトレードマークのトップアイドル、郷ひろみ。そのデビューには、実は「落選」という意外な事実が隠されていた。1971年、高校一年の郷が訪れたのは、映画『潮騒』のオーディション会場。結果は不合格だったが、その場に居合わせたジャニー喜多川社長の目に、この美少年は強烈に焼き付いた。ジャニーは郷を「超VIP待遇」でスカウト、瞬く間にジャニーズ事務所の看板ルーキーとなったのである。

当初はフォーリーブスのバックダンサーとしてステージに立ち、北海道での公演では「レッツゴーひろみ」という声援が沸き起こる。このファンの熱い呼び声が、そのまま芸名「郷ひろみ」の由来となった。そして1972年8月、ついにCBSソニーから「男の子女の子」でソロデビューを果たす。この曲はあっという間に大ヒット、デビュー同年に日本レコード大賞新人賞を受賞するという快挙を成し遂げた。

病弱な少年時代を経て、野球少年の夢を抱えていた彼が、ジャニー喜多川という稀代のプロデューサーに見出された瞬間から、日本のアイドル史を塗り替える伝説の幕が切って落とされたのである。

赤いシャツが彩る新御三家の快進撃

「レッツゴーひろみ!」。旭川のステージで湧き上がったこの歓声が、そのまま彼の芸名になった。1972年、フォーリーブスのバックダンサーとして人気を集めていた16歳の少年は、ジャニー喜多川に見出された超VIPスカウトだった。デビュー曲「男の子女の子」は、あっという間にオリコンベスト10入りを果たし、日本レコード大賞新人賞を獲得する。その疾走感あふれる歌声と、母が「似合う」と言った赤いシャツがトレードマークのルックスが、瞬く間に全国の少女たちの心を鷲掴みにしたのだ。

翌年には西城秀樹、野口五郎と共に「新御三家」の一角として時代を席巻。ブロマイド売上ナンバーワンの座を獲得する。代表作「裸のビーナス」「小さな体験」は、アイドル歌謡の枠を超えた大人の色香を漂わせ、彼の表現の幅の広さを世に知らしめた。単なる美少年アイドルではない、確かな歌唱力と存在感が、彼を半世紀にわたるスターの座に押し上げたのである。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2023 前代未聞のワンマンGO〜ショータイム!郷ひろみ“5つの顔”
2022 定年オヤジ改造計画
2019 世にも奇妙な物語 ’19雨の特別編
2018 The 69th Annual NHK Kouhaku Uta Gassen
2014 LEADERS
2012 オンガクジェネレーション
1994 Samurai Cowboy
1990 刑事貴族
1989 舞姫
1987 さらば愛しき人よ
1986 コミック雑誌なんかいらない!
1986 鑓の権三
1985 ALLUSION -転生譚-
1985 聖女伝説
1984 瀬戸内少年野球団
1982 コールガール
1982 峠の群像
1980 11ぴきのねこ
1979 夢一族 ザ・らいばる
1979 草燃える
1978 ダブル・クラッチ
1977 ワニと鸚鵡とおっとせい
1977 突然 嵐 の ように
1976 おとうと
1976 さらば夏の光よ
1951 NHK紅白歌合戦
1951 NHK紅白歌合戦

病弱少年からブロマイドNo.1への軌跡

あの甘いマスクと切れ長の瞳で一世を風靡した郷ひろみ。しかし、その少年時代は病弱で、ジフテリアや赤痢を患い、生死の境を何度もさまよっていたという。農家の家に生まれ、牛や馬に囲まれた福岡での幼少期。その後、父の転勤で上京したが、祖母を慰めるために一時単身福岡に戻り転校するなど、家族思いの一面も覗かせる。

アイドルとしての華々しいデビュー裏には、実にドラマチックなスカウト劇があった。長年「フォーリーブスのマネージャーに声をかけられた」とされてきたが、真相は異なる。本人が2020年に明かしたところによれば、オーディション落選の会場で、ジャニー喜多川社長自らがその輝きに惚れ込み、超VIP待遇でスカウトしたのだ。芸名「郷ひろみ」も、フォーリーブスの「5(ゴー)」から取られたという説が有力で、デビュー前から特別な存在であったことがうかがえる。

1972年、デビュー曲「男の子女の子」が大ヒット。あっという間に日本レコード大賞新人賞を獲得し、西城秀樹、野口五郎と並ぶ「新御三家」の一角として時代を駆け抜けた。ブロマイド売上No.1のトップアイドルとなった彼は、数々の賞を総なめにする。しかし、そのキャリアは順風満帆ばかりではなかった。多忙な芸能活動の中、高校は4年かけて卒業。大学受験にも挑戦するが不合格となる。ジャニー喜多川が手作りしたお弁当を高校に持っていったというエピソードは、事務所の期待の大きさを物語っている。

野球少年だった彼の根底には、アスリート魂が脈打っていた。中学生時代には自ら野球チームを結成するほどで、その情熱は、後に独自のダンスとパフォーマンスを追求する原動力となったに違いない。母の「赤が似合う」という一言で赤い衣装を愛用し続けたように、家族の影響は彼の美学の礎となっている。半世紀以上にわたるキャリアは、単なるアイドルではなく、不断の進化を続けるアーティストの軌跡なのである。

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