「スター誕生!」史上最高得点で合格した14歳の少女は、白い帽子の下で何を思っていたのか。秋田から東京へ、その一途な憧れが、やがて「花の中三トリオ」の一角としてアイドル史に燦然と輝く伝説を生み出す。しかし、その笑顔の裏には、誰にも告げずにオーディション会場へ向かった少女の、並々ならぬ決意が隠されていた。
基本プロフィール
| フリガナ | さくらだ じゅんこ |
|---|---|
| 生年月日 | 1958年4月14日 |
| 出身地 | 秋田県秋田市新屋表町 |
| 身長 | 161cm |
| 血液型 | O型 |
| 所属事務所 | サンミュージックプロダクション |
| ジャンル | 女優、アイドル |
白い帽子の少女が切り拓いたスター誕生
秋田の街角で、14歳の少女はテレビ画面に釘付けになった。森昌子が『スター誕生!』でグランプリを獲得した瞬間だ。「私と同じ年齢で、あの舞台に立てるんだ」。その直後、秋田地区でのオーディション開催を知らせる字幕が流れる。彼女は迷わず応募ハガキを投函した。両親にも内緒の、小さな決断が、その後の日本を代表するアイドルの運命を切り開く。
夏の台風が近づくあの日、交通機関が乱れるなか、秋田県民会館に集まった5000人の少女たち。その中で、彼女だけが白い帽子を被り、眩いばかりの笑顔を浮かべていた。番組ディレクターが後に語ったように、「彼女だけが本命」と誰もが直感したという。牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点で予選を突破。決戦大会では、審査員を圧倒し、25社という異例の数のプラカードが上がった。
事務所選びにも、彼女なりの信念があった。当時、芸能界への漠然とした悪いイメージを打ち消したのは、たった一人の先輩タレントの存在だった。「森田健作さんは清潔でさわやかだった。あの人の事務所なら間違いない」。そう言って、彼女はサンミュージックへの所属を希望したのだ。東京での生活は、憧れていた叔母の家に寄宿することから始まる。転入した品川女子学院では、同じく地方から上京してきた山口百恵と出会い、すぐに親友となった。二人はよく電話で悩みを相談し合う仲になる。
1973年2月、「そよ風の天使」のキャッチフレーズと共にデビューした「天使も夢みる」。トレードマークのキャスケットは「エンジェルハット」と呼ばれ、たちまち人気に火がつく。そして「花物語」で初のトップ10入りを果たし、森昌子、山口百恵と並ぶ「花の中三トリオ」として、国民的なスターへの階段を駆け上がっていったのである。
エンジェルハットと「花物語」の輝き
あの輝く笑顔が、昭和のアイドル史を塗り替えた。1972年、14歳の桜田淳子は『スター誕生!』秋田予選に、白い帽子を被って現れた。夏の台風で交通機関が乱れる中、彼女だけが会場に届けたのは、秋田から東京へという、幼い頃からの切なる憧れだった。番組史上最高得点での合格は、彼女の純粋なオーラが審査員の心を鷲掴みにした証左だろう。決戦大会では25社が獲得に名乗りを上げ、その圧倒的な人気は、ただの地方の少女ではない、時代が待ち望んだスターの誕生を告げていた。
デビュー曲「天使も夢みる」で“そよ風の天使”と称された彼女は、キャスケット帽「エンジェルハット」をトレードマークに、清らかなイメージを確立する。しかし、彼女の真骨頂は、その可憐さの裏に潜む芯の強さだった。同じ『スター誕生!』出身の森昌子、山口百恵と並び「花の中三トリオ」と呼ばれ国民的人気を博すが、彼女は常に独自の輝きを放っていた。「わたしの青い鳥」で日本レコード大賞新人賞を受賞し、アイドルとしての地位を確固たるものにする。
そして、ブレイクの決定打となったのは「花物語」である。ついにオリコンベスト10入りを果たし、続く「三色すみれ」「黄色いリボン」へとヒットを連発、彼女はまさに“花”をテーマにした歌謡曲の女王となっていく。その歌声は、少女の無垢な夢を、どこか哀愁を帯びた情感で歌い上げ、世代を超えて愛される普遍性を獲得したのだ。桜田淳子という存在は、単なるアイドルではなく、昭和という時代が生んだ、可憐でいて強い“純白の花”そのものだったと言えるだろう。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 1993 | お引越し |
| 1992 | 居酒屋兆治 |
| 1992 | ご存知!旗本退屈男Ⅶ 危うし!加賀百万石 |
| 1991 | ストロベリーロード |
| 1990 | Под северным сиянием |
| 1990 | 世にも奇妙な物語 |
| 1989 | 花の降る午後 |
| 1989 | ご存知!旗本退屈男Ⅲ 疑惑渦巻く大奥! |
| 1989 | 善人の条件 |
| 1988 | ニューヨーク恋物語 |
| 1988 | 海へ 〜See you〜 |
| 1987 | 独眼竜政宗 |
| 1987 | 独眼竜政宗 |
| 1985 | 澪つくし |
| 1982 | 危機一髪の女 |
| 1981 | 火曜サスペンス劇場 |
| 1980 | 池中玄太80キロ |
| 1980 | 動乱 |
| 1979 | 病院坂の首縊りの家 |
| 1978 | 愛の嵐の中で |
| 1977 | 昌子・淳子・百恵 涙の卒業式 出発 |
| 1977 | 若い人 |
| 1975 | 男はつらいよ 葛飾立志篇 |
| 1975 | 花の高2トリオ 初恋時代 |
| 1975 | スプーン一杯の幸せ |
| 1974 | 涙のあとから微笑みが |
| 1973 | ひとつぶの涙 |
| 1973 | 恋は放課後 |
憧れは森田健作、盟友は山口百恵
あの輝く笑顔の裏に、14歳の決断があった。桜田淳子は、誰にも告げず、台風接近の中をオーディション会場へと向かった。7000人の応募者がいた『スター誕生!』秋田予選。交通機関が乱れる悪天候にも関わらず、彼女は白い帽子を被り、会場に現れる。その笑顔は、審査員の心を一瞬で掴んだという。
「森田さんの事務所に行かせて下さい」――デビュー前、たった一つの理由で事務所を選んだ少女は、瞬く間に時代の寵児となる。デビュー曲「天使も夢みる」で頭角を現し、キャスケットは「エンジェルハット」と呼ばれて流行の象徴となった。しかし、真の転機は3枚目のシングル「わたしの青い鳥」だった。この一曲で、彼女は第15回日本レコード大賞最優秀新人賞という栄冠を手にし、華々しいスタートを切るのである。
森昌子、山口百恵と並び称された「花の中三トリオ」。その一翼を担った淳子の歩みは、順風満帆とは言えなかった。同じ事務所の先輩・森田健作に憧れた純粋な選択が、結果としてホリプロではなくサンミュージックへの所属を決めることになる。運命のいたずらか、東京の叔母宅に寄宿し、転入した品川女子学院では、後に盟友となる山口百恵と同級生になった。境遇を共にする二人は、すぐに親友となったという。
「はじめての出来事」でついにオリコン1位を獲得すると、その勢いはとどまるところを知らない。数々の賞を総なめにし、国民的アイドルとしての地位を確固たるものにしてゆく。しかし、彼女の真骨頂は、あの無垢な笑顔の奥に潜む、並々ならぬ意志の強さにあった。秋田から東京へ――幼い頃から抱き続けた夢は、台風をも物ともしない少女の行動力によって、現実のものとなったのである。