「国民の恋人」と呼ばれたその女優は、実は麻問屋の江戸っ子名家に生まれた娘だった。十朱幸代の名を一躍世に知らしめたのは、朝のラジオ番組『いってらっしゃい』の初代パーソナリティとしての顔である。しかし、彼女の芸能界への道筋は、演劇に狂った父と、その情熱を支えた母という、稀有な家庭環境が紡いだものだった。幼い頃から「絶対に女優になる!」と公言していた少女は、やがて数々の栄誉を手にし、日本映画界を代表する名優へと成長していくのである。
基本プロフィール
| フリガナ | とあけ ゆきよ |
|---|---|
| 生年月日 | 1942年11月23日 |
| 出身地 | 東京府東京市日本橋区・(現:東京都中央区) |
| 血液型 | O型 |
| ジャンル | 女優 |
麻問屋の跡取りが背を向けた演劇の道
麻問屋の跡取り息子が、演劇に全てを懸けた。その血は娘へと流れたのだ。
東京・日本橋の老舗麻問屋の長男に生まれながら、十朱久雄は家業を顧みず演劇にのめり込んだ。祖父の「東京を離れれば飽きるだろう」という目論見は外れ、奈良に移ってもその情熱は冷めない。むしろ、江戸っ子としての誇りからか、妻をわざわざ東京に送り返してまで、娘・幸代を東京の病院で出産させたのである。西大寺の境内を遊び場に育った幸代の耳には、常に父の芝居話が飛び交っていたに違いない。
「大きくなったら絶対に女優になる!」。幼い頃から公言していたその夢は、単なる子供の戯言ではなかった。中学生でモデルを始め、父の後を追うように訪れたNHKで、運命のスカウトが待ち受けていた。1958年、NHK『バス通り裏』でのデビューは、まさに必然の成り行きだったと言えるだろう。父が背を向けた家業の代わりに、彼女が掴んだのは輝かしい舞台への切符であった。
こうして、麻問屋の血筋は、日本を代表する女優を生み出す土壌へと変貌を遂げたのである。
国民の恋人からブルーリボン賞女優へ
彼女の名を知らぬ者でも、あの朝の優しい声は覚えているかもしれない。十朱幸代の名を一躍国民的なものにしたのは、何よりもニッポン放送『いってらっしゃい』の初代パーソナリティとしての役割だった。ラジオから流れる清楚で温かな声は、出勤や登校の時間帯に多くの人の心を掴み、「国民の恋人」という称号を生み出すきっかけとなったのである。
しかし、彼女の真骨頂はあくまで女優としての仕事にあった。父・十朱久雄の血を引き、幼い頃から「女優になる」と公言していたその道筋は、デビュー作『バス通り裏』から始まり、数々の作品で確かな演技力を示していく。特に1980年の『震える舌』での主演は、彼女の演技の幅の広さと深みを世に知らしめ、ブルーリボン賞主演女優賞という栄誉をもたらした。単なる「恋人」像を超え、複雑な内面を抱えた女性を演じ切る力量を見せつけたのである。
その後も『花いちもんめ』での再びのブルーリボン賞受賞、日本アカデミー賞の5度にわたる受賞は、彼女が時代を超えて愛される実力派女優であることを証明している。ラジオの向こう側の「恋人」から、銀幕を揺るがす「女優」へ。十朱幸代のキャリアは、常に人々の予想を上回る進化を続けてきたのだ。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2018 | 高嶺の花 |
| 2013 | パートナー ~愛しき百年の友へ~ |
| 2011 | カーネーション |
| 2009 | 駅路 |
| 2008 | 天国のスープ |
| 2008 | 天国のスープ |
| 2008 | しゃばけ 2 ~うそうそ |
| 2007 | しゃばけ |
| 2005 | 芸者小春姐さん奮闘記 |
| 2005 | 祇園囃子 |
| 2000 | 蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦 |
| 1997 | 失楽園 |
| 1996 | SMAP×SMAP |
| 1995 | 日本一短い「母」への手紙 |
| 1995 | 愛と野望の独眼竜 伊達政宗 |
| 1993 | かりん |
| 1992 | 平 清盛 |
| 1991 | 江戸城大乱 |
| 1991 | 首領になった男 |
| 1991 | 雲霧仁左衛門 |
| 1991 | 武田信玄 |
| 1990 | 女帝 春日局 |
| 1989 | ハラスのいた日々 |
| 1989 | 社葬 |
| 1989 | 桜の樹の下で |
| 1989 | 坂本龍馬 |
| 1989 | 織田信長 |
| 1988 | 五稜郭 |
| 1988 | Tokugawa Ieyasu |
| 1988 | 徳川家康 |
父の意志が生んだ「震える舌」の演技
「国民の恋人」と呼ばれた彼女の人生は、実は江戸っ子の父の強い意志から始まった。
十朱幸代が東京・日本橋の病院で生まれたのは、麻問屋の跡継ぎでありながら演劇に夢中だった父・久雄の「我が子は江戸の地で」というこだわりゆえだ。奈良に送り出されても芝居への情熱を断ち切れなかった父は家族を連れ東京へ戻り、その熱は娘にも確実に受け継がれていく。幼い頃から「絶対に女優になる!」と公言していた幸代は、中学生でモデルとなり、父について行ったNHKでスカウトされるという運命的なデビューを果たした。
1958年のNHK『バス通り裏』で鮮烈なスタートを切ると、その清楚ながら芯のある美しさはたちまち時代の寵児となる。朝のラジオ番組『いってらっしゃい』の初代パーソナリティを務め、「国民の恋人」の愛称で親しまれたのはこの時期だ。しかし彼女は単なるアイドルでは終わらなかった。
1971年の『ゼロの焦点』で日本放送作家協会女性演技賞を受賞し、本格的な女優としての階段を上り始める。そして1980年、長谷川町子原作の『震える舌』での圧倒的な演技がブルーリボン賞主演女優賞をもたらす。この役は、彼女が持つ可憐さの裏側にある強靭な表現力の証明となった。
意外なのは、14年に及ぶ小坂一也との事実婚関係だ。入籍には至らなかったものの、当時の芸能界において同棲を公にすること自体が稀な時代。彼女の芯の強さと自立した生き方が窺えるエピソードである。
受賞歴は輝かしい。1984年から1996年にかけて日本アカデミー賞優秀主演女優賞を5度受賞。『花いちもんめ』(1985年)では再びブルーリボン賞主演女優賞を手中にし、1987年の『夜汽車』では毎日映画コンクール主演女優賞に輝く。2003年には紫綬褒章、2013年には旭日小綬章と、その功績は国家的に認められた。
68歳で足首に21時間にも及ぶ大手術を受けた時も、彼女は闘病生活を力強く生き抜いた。半年間の車椅子生活、1年間のリハビリを経て再び舞台に立ち続けるその姿は、幼い日に誓った「女優になる」という決意が、単なる夢ではなく生涯をかけた覚悟であったことを物語っている。