「小さな箱に入ってみせる」と誓った少年は、今や国民的スターとなった。水谷豊の半生は、一度は役者の道を断ち切った挫折と、運命的な再会の連続である。北海道から東京へ、そして山梨の湖畔での放浪まで、彼の人生はドラマそのものだ。

基本プロフィール

フリガナ みずたに ゆたか
生年月日 1952年7月14日
出身地 北海道芦別市
身長 168cm
血液型 A型
所属事務所 Trysome Bros.
ジャンル 俳優・歌手

滑り台の野宿と萩原健一の一言

「小さな箱に入ってみせる」。少年・水谷豊は白黒テレビの前で、そう心に誓った。しかし、その道は平坦ではなかった。12歳で劇団ひまわりに入団し、『バンパイヤ』で主役に抜擢されるも、高校入学後は「これでいいのか」という疑問に駆られ、一度は芸能界から距離を置く。大学受験に失敗し、浪人生活に嫌気が差した彼は、ある日、発作的に家を飛び出した。行き場のない数日間を、近所の公園の滑り台の上で野宿して過ごしたというエピソードは、彼の内に秘めた強烈な焦燥感を物語っている。

その後、山梨県の湖畔で働きながら自問自答の日々を送った。役者を辞めてから2年。再び彼を呼び戻したのは、小学校時代からの同級生の縁だった。『傷だらけの天使』への出演オファーである。しかし、この時点で水谷はすでに俳優を辞めることを考えていた。不遇な時期が長く続き、心が折れかけていたのだ。

転機は、萩原健一の一言だった。共演候補がスケジュールの都合で降りた際、萩原が『太陽にほえろ!』で共演した水谷を強く推薦したのである。この抜擢が、彼の運命を変える。萩原を「永遠の兄貴」と慕い、共演者からも「素だと思わせる役者」と評された水谷は、この作品で初めて、役者としての自分の核を見出したと言えるだろう。もしあの時、萩原の推薦がなければ、日本のテレビ史から「相棒」は生まれなかったかもしれない。

傷だらけの天使が生んだ「素」の演技

あの小さな箱に入るという夢は、一度は手にしたかに見えた。だが、水谷豊は俳優を辞めようとしていた。『バンパイヤ』で主役を射止め、華々しいデビューを飾ったものの、その後は長い不遇の時代が続いた。大学受験に失敗し、家出までして彷徨った日々。俳優としての道は、すでに閉ざされたかに思えた。

転機は、小学校からの同級生の一声だった。1974年、萩原健一主演の『傷だらけの天使』への出演が決まる。萩原自身の推薦による抜擢である。当初は視聴率が伸び悩んだこの作品で、水谷は萩原演じる元ボクサー・神崎の相棒、大学生の北条明を熱演。岸田森からは「見ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしい」と助言を受けた。その言葉は、彼のその後の演技の根幹をなすものとなる。

『傷だらけの天使』は次第に視聴者の心を掴み、伝説的名作としてテレビ史に刻まれた。水谷は萩原を「永遠の兄貴」と慕い、この作品がなければ今の自分はないと語るほどだ。俳優を辞めようと思っていた彼を、この作品が確固たる俳優としての道へと引き戻したのである。そして、この経験が、後に国民的スターへと上り詰めるための、何よりの礎となったことは間違いない。

出演作品

公開・放送開始年 作品名
2022 太陽とボレロ
2022 優作について私が知っている二、三の事柄
2022 CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ
2019 轢き逃げ 最高の最悪な日
2017 無用庵隠居修行
2017 居酒屋もへじ6-ありがとう父ちゃん-
2017 TAP THE LAST SHOW
2017 相棒-劇場版IV-首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断
2016 居酒屋もへじ 5 ~母という字~
2015 居酒屋もへじ4
2015 王妃の館
2014 居酒屋もへじ3
2014 相棒 -劇場版 Ⅲ- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ
2013 少年H
2013 居酒屋もへじ2
2013 相棒シリーズ X DAY
2012 HOME 愛しの座敷わらし
2011 居酒屋もへじ
2010 相棒 -劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜
2010 外科医 須磨久善
2010 矢島美容室 THE MOVIE~夢をつかまネバダ~
2009 相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿
2008 相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン
2005 パートタイム裁判官
2004 事件記者・三上雄太
2003 しあわせギフトお届け人
2002 相棒
2002 警察医・花井吾朗の殺人カルテ
1999 探偵 左文字進
1991 朝比奈周平ミステリー

相棒とTrysome Bros.の二刀流

あの小さな箱に入るためだけに、少年は役者の道を選んだ。だが、その道は決して平坦ではなかった。水谷豊が『傷だらけの天使』で萩原健一と共演した時、彼はすでに俳優を辞めようと考えていたという。不遇の時代が長く続き、心が折れかけていたのだ。しかし萩原の推薦で得たその役が、彼の運命を一変させる。岸田森から「観ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしい」と助言された言葉は、水谷のその後の演技の根幹をなすものとなった。

1976年、長谷川和彦監督の『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少受賞。一気に実力派の座を掴んだかに見えたが、彼の真骨頂はその後、長い時を経て花開く。誰もが知る『相棒』の誕生である。2008年には寺脇康文と共に橋田賞を受賞し、シリーズは社会現象にまでなった。しかし意外なことに、彼は役者以外の顔も持つ。Trysome Bros.を率いる実業家であり、映画監督としても手腕を振るう。さらには歌手としての経歴もあり、多才な芸能人というイメージを裏切らない。

少年時代、大鵬の土俵入りに憧れて力士を志したこともあれば、趣味は手品という一面も持つ。猫を愛し、妻である伊藤蘭との家庭を何よりも大切にする人間味あふれる人物像が浮かび上がる。『傷だらけの天使』がなければ今の自分はないと語る水谷。あの時、俳優を辞めずに踏みとどまった決断が、日本のエンターテインメント史に不動の地位を築くきっかけとなったのである。

おすすめの記事