「渡辺えり」という名前に、あなたは何を思い浮かべるだろうか。あの『おしん』で印象的な役を演じた女優? それとも、数々の舞台を生み出した演出家? 実は彼女、かつては「渡辺えり子」という芸名で活動し、12歳年下の夫との結婚と離婚、そして自らの劇団の解散と再出発を経験した、波乱万丈の人生の持ち主なのだ。その半生は、演劇への並々ならぬ情熱と、常に自らを更新し続ける強靭な精神に貫かれている。
基本プロフィール
| フリガナ | わたなべ えり |
|---|---|
| 生年月日 | 1955年1月5日 |
| 出身地 | 山形県山形市 |
| 身長 | 160cm |
| 血液型 | O型 |
| 所属事務所 | ファザーズコーポレーション |
| ジャンル | 女優、演出家、劇作家、作詞家 |
生い立ち・デビューまでの経緯
山形の田園地帯で育った少女が、なぜ日本を代表する劇作家となれたのか。その原点には、意外なほど過酷ないじめ体験があった。
小学校時代、太っていたことを理由にいじめに遭った渡辺えりは、人と会うことさえ怖くなり、学校を休みがちになる。転機は学芸会だった。「犬のお母さん」役を演じた彼女を担任が褒め、作文や歌の才能も認められる。その小さな承認が、彼女の心に灯をともしたのだ。演じること、書くことこそが、自分を肯定する唯一の手段だった。
「山形西高校に入ったら、上京して演劇をやらせてやる」。父のその言葉を信じて必死に勉強し、見事合格する。しかし父は「約束など覚えていない」と翻意する。高校三年間は、この約束を巡る親子の戦いの連続だった。それでも彼女の決意は揺るがず、卒業後、反対を押し切って単身上京を果たす。
舞台芸術学院での日々は、演劇に没頭する至福の時間だった。卒業後、仲間と劇団を立ち上げるが、生活は困窮を極める。家賃も食費も払えず、アルバイトを三つ掛け持ちする日々。それでも小劇場に観客が一人でも入れば、明日への活力が湧いてきた。
23歳で結成した「劇団2○○」は、当初は客がほとんど入らない。しかし、口コミだけを頼りに上演を重ねるうち、いつの間にか立ち見客が出るほどの人気劇団へと成長する。1982年、『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞。劇団員として食うや食わずの生活を送っていた彼女に、初めて「劇作家・渡辺えり」という確かな道筋が照らし出された瞬間だった。
ブレイクのきっかけ・代表作
彼女の人生を変えたのは、たった100席の小劇場に詰めかけた350人の熱気だった。1982年、渡辺えりが27歳の時に上演した『ゲゲゲのげ』は、口コミで観客を呼び、ついには立ち見客を出すほどの人気を博す。この作品で岸田國士戯曲賞を受賞したことが、劇作家・渡辺えりの名を世に知らしめる決定的な転機となったのだ。
山形から上京し、貧しい劇団生活を送っていた彼女にとって、この受賞は単なる栄誉以上の意味を持っていた。雑誌の原稿依頼が舞い込み、生活が安定するきっかけとなったのである。しかし渡辺えりの真骨頂は、常に舞台の上にあった。作・演出・出演の三役をこなす稀有な才能は、『ゲゲゲのげ』以降も衰えることなく、独自の世界観を築き上げていく。
代表作といえば、やはり彼女の代名詞ともなった『ゲゲゲのげ』を外すことはできない。しかし渡辺えりの魅力は、一つの代表作に留まらない多才さにある。NHK連続テレビ小説『おしん』への出演でその演技力を広く知らしめ、その後も舞台を中心に精力的な活動を続けた。2007年には芸名を「渡辺えり子」から「渡辺えり」に改め、新たなスタートを切っている。
日本劇作家協会の会長を務めるなど、業界を牽引する立場となった今も、彼女の根底にはあの小劇場で観客と共有した熱い時間が流れているに違いない。
出演作品
| 公開・放送開始年 | 作品名 |
|---|---|
| 2022 | 十津川警部のレクイエム |
| 2022 | 私の恋人 Beyond |
| 2020 | ばるぼら |
| 2020 | 海辺の映画館-キネマの玉手箱 |
| 2020 | ロマンスドール |
| 2019 | カツベン! |
| 2019 | 風博士 |
| 2019 | アフロ田中 |
| 2017 | メアリと魔女の花 |
| 2017 | ボク、運命の人です。 |
| 2017 | サバイバルファミリー |
| 2016 | お父さんと伊藤さん |
| 2016 | 精霊の守り人 |
| 2014 | 坂道の家 |
| 2014 | 舞妓はレディ |
| 2014 | 稀代の悪女シリーズ 銭女 |
| 2014 | 世にも奇妙な物語 '14春の特別編 |
| 2013 | あまちゃん |
| 2012 | 鑑識特捜班・九条礼子 ~骨を知る女~ |
| 2012 | 孤独のグルメ |
| 2011 | おひさま |
| 2010 | 10年先も君に恋して |
| 2010 | 崖っぷちのエリー~この世でいちばん大事な“カネ”の話 |
| 2010 | 素直になれなくて |
| 2008 | ICHI |
| 2008 | コトバのない冬 |
| 2008 | みゅうの足パパにあげる |
| 2008 | 100の資格を持つ女 |
| 2006 | ラフ |
| 2006 | 明日の記憶 |
人物エピソード・逸話
彼女の人生は、いじめられっ子から日本の演劇界を牽引する存在への、驚くべき逆転劇だ。
小学校時代、太っていたことを理由にいじめに遭い、登校さえ拒んだ渡辺えり。転機は学芸会での「犬のお母さん」役だった。たった一度の褒め言葉が、彼女に演劇という逃げ場と、そして確かな自信を与えたのである。山形から猛反対する父を押し切っての上京、貧しい劇団員時代を経て、23歳で旗揚げした劇団2○○(後の3○○)は、口コミだけで立ち見客が出るほどの熱狂を生み出す。そして1983年、『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞。劇作家としての地位を一気に確立した瞬間である。
女優としてもその存在感は圧倒的で、『Shall We ダンス?』では日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に輝く。しかし、彼女の真骨頂は「演出家」としての顔にある。SMAP・草彅剛主演の『瞼の母』を手掛け、人形と役者の共演に挑戦するなど、その挑戦は常に型破りだ。2018年には日本劇作家協会の会長に就任し、業界のリーダーとしても重責を担っている。
公私にわたる大胆な決断も彼女の本色を示している。2007年には芸名を「えり子」から「えり」へ変更。2019年には12歳年下の俳優・土屋良太との離婚を公表した。常に前だけを見て、自らの芸術と人生を更新し続ける。いじめられっ子は、今や日本の舞台を創る一人の巨人なのである。