お笑いマンガ道場「富永一朗VS鈴木義司」のウラに「長年の友情」

 1976年4月11日から1994年3月27日の18年間に及び、日本テレビ系列の中京テレビで制作されていた「お笑いマンガ道場」。当初は名古屋ローカルだったものの、あまりの人気ぶりから全国ネットで放送されるようになり、大人気を博した伝説のバラエティ番組だ。

1977年4月から17年間、フリーアナ・柏村武昭が司会を務める

 初代司会者である桂米丸の後任として、1977年4月から最終回までの17年間、司会を務めたのが中国放送(RCC)を1975年に退社していたフリーアナウンサーの柏村武昭。マスコットキャラクターの「マガドン」「りゅうのすけ」も視聴者からの人気を集めた。

「だん吉・なお美のおまけコーナー」

 司会者から出されたお題に従って、解答者がフリップに漫画を描く「ひらめきスピードマンガ」「しりとり落書きマンガ」「ダジャレマンガ」といったコーナーに加え、レギュラー解答者である車だん吉と女性タレントの「おまけコーナー」が印象深い同番組。

 2015年に54歳の若さでこの世を去った川島なお美は3代目女性レギュラーを務め「だん吉・なお美のおまけコーナー」は当時の子供たちの間で口々に真似をされるフレーズとなった。

最大の見どころは「富永一朗VS鈴木義司」

 そんな「お笑いマンガ道場」にあって最大の盛り上がりを見せたのが「富永一朗VS鈴木義司」の漫画家バトル。

『チンコロ姐ちゃん』『ポンコツおやじ』などの代表作で知られる漫画家で同番組でもシモネタを大の得意としている富永一朗と、読売新聞夕刊で『サンワリ君』で1966年から2004年まで11240回もの長期連載を果たした漫画家・鈴木義司による壮絶なバトルが繰り広げられていたのである。

「土管にすむやせっぽち」と「泣きっ面の肥満体」

 両者のバトルは刺激的かつ単純明快。富永が鈴木を「土管に住んでいるやせっぽち」「アホウドリ」「ミノムシ」「ケムシ」の姿に描いた漫画でおちょくれば、鈴木も富永を「泣きっ面をした肥満体の中年」「サンショウウオ」などに模すなど、お互いの解答のなかで激しい応酬を連発。鈴木は自身を「札束をばらまく大富豪」の姿で描くなど、自らのアピールも怠らなかった。

「『大親友』だった富永と鈴木」

 18年もの間、激しい漫画バトルを繰り広げた富永と鈴木について「実はあのお二人は仲が悪いどころか『大親友』の間柄だったんですよ」と明かすのは番組放送当時を知る雑誌編集者だ。

「そもそも富永さんに『一緒にやろうぜ』と『お笑いマンガ道場』に誘ったのが、番組側から先にオファーを受けていた鈴木さん。激しい漫画バトルも緻密な計算ありきで、入念に二人で打ち合わせをした上で毎回の放送に臨まれていたんです。2004年に鈴木さんが亡くなった際、富永さんは非常に落胆されていたのは有名な話です」

 伝説の番組のウラに漫画家同士の篤い友情があった。

(吉田優作)