テニスの錦織圭と、俳優の渡哲也・渡瀬恒彦兄弟。活躍の場も世代も異なる三人は、実は親戚だった。だが、有名な身内が幼い頃から競技生活を見守っていた、という話ではない。渡兄弟の側も、長くその関係を知らなかったのである。
つながりが表に出たのは、18歳の錦織が北京五輪に出場した2008年。この年はデルレイビーチ国際選手権を制し、ATPツアーでも初めて頂点に立っていた。日本テニス界の若手として注目を集めるさなか、芸能界でも意外な縁が見つかったのだ。
渡哲也の祖母と錦織圭の曽祖父がきょうだい
2008年8月10日付の日刊スポーツが伝えたところによると、その年の7月末、石原プロモーションに親族から一通の手紙が届いた。北京五輪に出場する錦織のことを知らせる内容で、家系図も添えられていたという。
そこに示されていたのが、渡の祖母と錦織の曽祖父がきょうだい、という関係だった。渡にとっても初耳で、弟の渡瀬に電話したところ、渡瀬も知らなかったという。俳優兄弟が同じタイミングで、世界に挑むテニス選手との血縁を知ったのである。
祖母と曽祖父までさかのぼる関係だけに、日常的に顔を合わせるような親戚ではなかったのだろう。当時の渡はテニスにも詳しくなかったというが、手紙をきっかけに錦織を気にかけるようになった。姓だけを見ても分からない縁を、家系図がつないだ形だ。
2012年の初対面で渡哲也が気にしたこと
関係が判明してから約4年後、渡と錦織は初めて会う。場所は東京・有明コロシアム。2012年11月18日のチャリティーイベントでの出来事だった。
この時に渡へ同行した日刊スポーツの松田秀彦記者が、2020年にその様子を振り返っている。来場のきっかけは錦織の父からの誘い。渡はそこで錦織に、海外での生活や練習について尋ねたという。
印象的なのは、関心が試合の勝ち負けだけに向いていなかったことだ。体調や食事を気遣い、渡は茶封筒も手渡している。中身の金額が明かされた話ではなく、若い親戚においしいものでも食べてほしいという、年長者の振る舞いとして記録されている。
錦織にとっては、自分と血がつながっていると聞いた大俳優との対面。一方の渡は、遠くで頑張る若者の暮らしを案じていた。取材に残されたやり取りからは、華々しい共演とは違う、親族同士の顔合わせらしさが伝わってくる。
もちろん、この縁が錦織のテニスの才能を説明するわけではない。渡兄弟が関係を知った時点で、錦織はすでにプロとして結果を出していた。面白いのは成功の理由ではなく、活躍した後に分かった血縁が、新しい交流を生んだという順番だ。
最初は家系図の上のつながりだったものが、4年後には顔を合わせて食事を気遣う関係になった。意外な親戚という一言の先に、そんな一日が残っている。