ドラマ「特命係長 只野仁」で共演した高橋克典と梅宮辰夫。画面の中で見せた関係だけでなく、二人は親戚でもあった。高橋にとって梅宮は、俳優を目指す前から身近にいた芸能界の大先輩だったのである。
それならば、芸能界入りにも背中を押してもらったのだろう。そう思いきや、高橋が振り返った最初の反応は、まるで逆だった。梅宮は、むしろこの世界に入ることを思いとどまらせようとしていたという。
梅宮辰夫と高橋克典の母は「いとこ」
親族関係を整理すると、高橋の母と梅宮がいとこにあたる。さらに上の世代では、高橋の祖母と梅宮の母が姉妹だ。高橋は梅宮を「叔父貴」と呼んでいたが、母の兄弟という意味での叔父ではない。家族に近い年長者への呼び方だった。
梅宮が亡くなった2019年12月、高橋は取材に応じ、俳優になりたいと相談した際のやり取りを振り返った。梅宮は高橋の顔立ちを地味だと評し、芸能界で華やかな仕事ができるのはごく一部で、苦労が多いことを説いたという。
2021年6月の「徹子の部屋」出演を告知するテレビ朝日の公式記事でも、10代の高橋が相談した際には否定的な答えが返ってきた一方、デビュー後は強く応援してくれたことが紹介されている。入口では止め、入ってからは支える。二つの態度は、一見すると矛盾しているようにも映る。
本人に知らせず、撮影所へかけていた電話
その意味がよく分かるのが、梅宮の死後、高橋が自身のブログで明かした撮影所での一件だ。高橋が東映京都撮影所に入る際、梅宮は先に電話をかけ、スタッフに高橋のことを頼んでいたという。
しかも、梅宮は高橋本人には何も言っていなかった。高橋が気遣いを知ったのは、撮影所の人から話を聞いたためだった。目の前で励ますだけでなく、自分のいない場所にまで声をかけていたのである。
当該ブログを伝えた同年12月13日のマイナビニュースの記事によると、高橋はかつて反対されたことをきっかけに、自分で進む道を探したという。梅宮の言葉は、そのまま夢を諦める理由にはならなかった。その後の電話は、自力で歩き始めた身内に対する、別の形の後押しだったと言えそうだ。
梅宮は後年、芸能界の厳しさを知っているからこそ、大学を出て一般の仕事に就く道を勧めたかったという趣旨の話もしている。身内なら簡単に入れてやる、という発想ではなかったのだろう。厳しい言い方の裏には、苦労をさせたくないという思いがあったことがうかがえる。
高橋が語ったのは、大物俳優の名前を借りた成功談ではない。最初は止められ、それでも俳優になり、後になって見えないところでの支えを知ったという記憶だ。
芸能界入りに反対した梅宮が、撮影所には黙って電話をかけていた。言葉の厳しさと面倒見のよさが、一本の電話でつながっている。