山本昌「ラジコンが本業」説ではわからない! 50歳まで投げた左腕が遊び場で学んだ「調整の極意」
野球だけでなくラジコンへの熱中でも知られる山本昌。趣味の世界で目にした光景が、自分の体との向き合い方を変えた。

ラジコンが本業で、野球は副業。中日で50歳まで現役を続けた山本昌には、そんな冗談めいた評判もついて回る。ひとつの趣味にとどまらない熱中ぶりが知られているからこその話だが、本人の回想をたどると、野球とラジコンは案外、離れた場所にあったわけではない。
趣味を通じて得たのは、単なる息抜きだけではなかった。人が機械を速く走らせるために試行錯誤する姿が、プロの投手に、自分の体をどこまで理解しているかという問いを突きつけたのである。
ラジコンのコースで山本昌が見た「設定を変える人たち」
山本は2022年、講談社のコミックDAYSに掲載されたインタビューで、30歳頃の経験を振り返っている。膝の状態がよくない時期にラジコンのコースへ通い、そこで参加者たちの細かな調整を目にしたという。
車を走らせて終わりではない。動きを見て設定を変え、また走らせる。その繰り返しに接するうち、山本は野球選手である自分が、体についてそこまで勉強してきたのかと考えた。遊び場の熱心な人たちが、仕事の姿勢を見直すきっかけになったわけだ。
同じ頃には、トレーニング指導者の小山裕史とも出会っている。ここから先を、ラジコンだけで投球が改善したという因果関係にしてしまうのは乱暴だ。ただ、本人が趣味の経験を、自分の体を知ろうとする転機のひとつに挙げていることは興味深い。
長く続けている仕事ほど、手慣れたやり方を疑うのは難しい。別の世界へ熱中したことで、むしろ本職の中に見過ごしていた余地が見えた。山本の多趣味ぶりには、そんな往復もあった。
それでも2007年から「ラジコンを封印」した理由
一方で、野球より遊びを優先し続けていたわけでもない。15年のスポルティーバでの山﨑武司との対談では、07年からラジコンを封印していたことが語られている。長い現役生活の終盤には、楽しみ方にも区切りをつけていた。
引退すれば、そのまま元の趣味へ戻るのかと思いきや、本人はブランクにも触れている。熱中していた頃の感覚のまま復帰できるほど、ラジコンの世界も甘くないというわけだ。ここでも、趣味を適当な気晴らしとして扱わない姿勢がのぞく。
同年のFull-Countのインタビューでも、引退後はまず野球を伝える仕事に力を入れる考えを示していた。趣味の評判だけを聞けば、本業を終えてようやく遊べるという話になりそうだが、本人の優先順位はもっとはっきりしていた。
50歳まで投げた時間を、ひとつの趣味の効果で説明することはできない。それでも、好きなことに本気になる中で、自分の仕事へ持ち帰れる発見があったのは確かだ。
ラジコンが本業という冗談の奥には、遊びを遊びのまま終わらせない野球選手がいた。コースで車の動きを見つめていた山本昌は、そこでも投手として考えていたのである。


