無茶な企画でも、最後は松村邦洋がなんとかしてしまう。「電波少年」を見ていた人には、そんな印象が残っているかもしれない。逃げ腰になりながらも現場へ向かい、ひどい目に遭って戻ってくる。その繰り返しが、体当たり芸人としてのイメージをつくった。
しかし、本人まで恐怖に慣れていたわけではない。2023年の「文春オンライン」のインタビューで、ことさら怖かった経験として語ったのは、砂漠のロケで遭難した夜だった。
砂漠で車が動かなくなり「助けが来ない」
松村の回想によれば、きっかけは車の故障だった。助けを求めに行ったスタッフが戻らず、やがて夜を迎える。スタジオへ帰れば笑い話にできる、という見通しそのものが消えていく状況だった。
印象的なのは、その時の水の扱いだ。松村は、残っていた水を自分で飲んでしまったと明かしている。普段はスタッフの指示で動く立場だが、追い詰められた気持ちの中で、もはや言うことを聞くものかという思いもあったという。
救助を待つ人間の行動として、冷静だったとは言いがたい。だが、だからこそ当時の切迫感が伝わる。番組で見せる弱音やぼやきとは違い、先の見えない場所に取り残された人の反応だった。助かった後には、水を飲んでしまったことを謝ったとも語っている。
取材では救助まで約24時間と紹介されている。松村には、上空のヘリコプターがいったん通り過ぎ、置いていかれるのではないかと感じた記憶もあった。後から結末を知って見る映像と、結末のわからない本人の時間は、同じではなかったのである。
「怖くない人」だったから体を張れたわけではない
番組の現場には、命の危険とは別の意味で理不尽な体験もあった。19年にニッポン放送が紹介した番組関係者とのトークでは、エアマックス狩りに遭う企画の話が出ている。
靴を奪われた後も、足に貼り付けていた中敷きだけは残った。ところがスタッフの車は先に行ってしまい、自分でタクシーに乗ることに。しかも、その代金をめぐってまで割に合わない思いをしたという。画面の中のひとつのオチにも、現場ではこんな後日談が続いていた。
こうした話を巧みに笑いへ変えられるのは、松村の話芸でもある。ただし、笑える形で語り直せることと、その瞬間に恐怖がなかったことは別問題だ。砂漠の記憶は、その境目をはっきりさせている。
文春オンラインの取材で松村が当時を表した短い言葉は「無我夢中」だった。大胆不敵な冒険者だったのではなく、怖がり、腹を立て、時には判断を乱しながら目の前のロケをくぐり抜けた。その人間くささまで含めて、松村邦洋の電波少年だったのである。