金色の衣装で舞い踊る松平健と、ひたすら景気のいい「マツケンサンバII」。2004年の大ブームを知る人には、時代劇の大スターが突然、とんでもない隠し球を投げてきたようにも見えただろう。
だが、この曲はブームに合わせて急造されたものではない。誕生はその10年前。作曲した宮川彬良の記録には、客席を喜ばせる舞台曲として仕込まれた、細かな工夫が残っている。
マツケンサンバIIの依頼は1994年の舞台から
宮川が公式サイトに掲載しているエッセーによれば、話が来たのは94年9月だった。大阪新歌舞伎座の松平健公演に向けた音楽制作で、ショーの締めくくりに使うマツケンサンバの新しい曲を求められたという。
つまり、曲名に付いたIIにも理由がある。舞台ではそれ以前から松平の名前を冠した歌や踊りの演目が育っており、その流れの中で用意された新作だった。硬派な俳優が突然、別人のような芸を始めたわけではなかったのである。
歌詞が届くと、宮川はそれをもとに旋律をつけた。10月10日の録音では約30人の演奏者が集まり、アンサンブルで音を作っていく。軽やかに聞こえる一曲の土台には、大人数の演奏があった。
制作の途中には、舞台監督の提案で間を加えた部分もあるという。客席の前でどう見え、踊りがどう決まるか。音だけで完結させず、舞台で上演することを前提に練られていた点が面白い。
「何度も聴ける曲」を目指した宮川彬良
宮川は2022年に文化放送の番組へ出演した際、制作にあたって繰り返し楽しめる曲を意識したと説明している。参考に挙げたのは、華やかな物語と音楽が続いていくバリー・マニロウの「コパカバーナ」だった。
もちろん、同じメロディーを使ったという意味ではない。宮川が語ったのは、ひと通り聴き終えてもまた楽しみたくなる作りへの関心だ。和音の始め方などにも工夫を凝らし、お祭りの気分が簡単に終わらないような流れを考えたという。
松平自身もananの取材で、音頭や小唄、マンボなど、舞台で歌い踊ってきた演目の積み重ねを振り返っている。芝居を見に来た観客へ、最後に違う楽しさを持ち帰ってもらう。サンバも、その試行錯誤から離れた飛び道具ではなかった。
宮川は04年のエッセーで、松平が10年にわたって曲を歌い続けてきたことへの思いも記している。全国的な話題になる前から、舞台の客席では曲と踊りが繰り返し披露されていた。大ブームは、その長い助走の後にやって来たのだ。
思わず笑ってしまうほど豪快なのに、もう一度見たくなる。マツケンサンバIIの強さは、意外性だけでは説明しきれない。突然現れた珍曲に見えたものは、実は客席の前で10年育った一曲だったのである。