夏の芸能ニュースといえば、西田ひかるの誕生日パーティー。そんな記憶を持つテレビ視聴者も少なくないだろう。豪華な会場に招かれた顔ぶれ、カメラの前で祝福を受ける主役。毎年のように流れる映像は、ひとりのアイドルの誕生日を芸能界の恒例行事にしてしまった。
だが、なぜ西田の誕生日だけが、これほど大きなイベントになったのか。本人や所属事務所の説明をたどると、出発点は派手好きなスターの宴とは少々違っていた。
西田ひかるの誕生日会は「会えない人に会う日」だった
西田は2022年の「CHANTO WEB」のインタビューで、学生時代の多忙さを振り返っている。仕事が終われば学校の勉強が待ち、世話になった人とゆっくり食事をする時間も取りにくい。そこで、誕生日という一日を使って集まってもらい、日頃のお礼を伝える場にしたという。
所属事務所の曲直瀬道枝氏も、12年の公式ブログで同じ事情を記している。学校と仕事で予定が埋まる中、周囲への感謝を伝えるために考えた方法だった。招待するのは知人や仕事を通じて縁のある人たちで、ファンに会う機会としては別にチャリティーバザーなどを設けていた。
つまり、誕生日だからみんなに祝ってほしい、というだけの集まりではなかった。普段は一件ずつ実現できない会食を、年に一度まとめて開く。忙しい学生タレントなりの、人付き合いの工夫だったのである。
豪華な映像だけでは伝わらなかった「招く側の事情」
もっとも、その会は次第に華やかさを増していく。曲直瀬氏の回想によれば、初めから大がかりな催しだったわけではなく、回を重ねる中で規模が膨らんだ。デビュー後から結婚前まで続いたものの、開催しなかった年も一度あったという。
西田自身が気を配っていたのは、招かれた人が楽しめるかどうかだった。会場の食事を選び、年によってはホテルで花火を見てもらう。アナウンサーに司会を頼むこともあった。テレビで見れば豪華な誕生会だが、主催する本人には、招待客をもてなす行事という意識があったわけだ。
取材陣に向けた会見もあり、その様子が翌日の番組で取り上げられた。視聴者が繰り返し目にしたのは、準備や開催の事情ではなく、完成した華やかな場面である。それだけに、毎年これほど盛大に祝うのはなぜなのか、という印象が残りやすかったのだろう。
本人が22年に明かした結婚後の誕生日は、家族で食事をするような過ごし方だった。かつてのパーティーも、一生続く特別待遇ではなく、学業と芸能活動を両立していた時期に生まれたものだったのだ。
テレビに映っていたのは、祝われる西田ひかる。その裏では、年に一度の機会に周囲をもてなそうとする西田ひかるが、忙しく立ち回っていたのである。