難航しているプログラムを直すなら2年。最初から組み直すなら半年。糸井重里が手がけた「MOTHER2 ギーグの逆襲」の開発を、岩田聡がこんな提案で救った話は、ゲームファンの間でよく知られている。
あまりに鮮やかな逆転劇だけに、岩田がたったひとりで半年のうちに完成させた、と受け取られがちだ。だが、本人たちの説明をたどると、その半年の前にも後にも、見落とせない仕事があった。
MOTHER2の「半年」は発売までの期間ではなかった
1994年にスーパーファミコン用として発売されたMOTHER2は、完成までに5年を要した。岩田が本格的に立て直しへ加わったのは、その最後の約1年だ。当時の岩田は、後年の任天堂社長としてではなく、HAL研究所の社長でありプログラマーとして現場に入っている。
2013年のほぼ日での糸井との対談では、開発が行き詰まった状態からどう進めたかが具体的に語られた。岩田は、それまでの仕組みを修正し続けるより、新しく組んだほうが早いと判断。約1カ月後には、ゲームの世界を動き回れるものを見せ、周囲を驚かせた。
ただし、半年で達したのは、最初から最後まで通して遊べる状態だった。そこからさらに約半年をかけ、製品としての完成度を上げている。半年という見積もりが外れたのではなく、何をその期間で実現するのかが、伝説を短く語るうちに省略されやすいのである。
「やり直し」でも、それまでの4年は捨てていない
もうひとつ大切なのが、それ以前の制作物の扱いだ。プログラムの仕組みを改めたからといって、キャラクターや絵、物語、音楽まで一から作り直したわけではない。長い開発期間に積み重ねられた材料は、立て直した仕組みの中で生きた。
岩田の仕事のすごさは、他の人が作ったものを不要にした点にはない。完成へ進めなくなっていた現場で、それまでの仕事がひとつのゲームとして動く道筋をつくったことにある。残すものと作り直すものを見極めたからこそ、時間の見通しを示せたのだろう。
糸井は1999年に書いた文章でも、この時の岩田の仕事を振り返っている。無理そうに見えた状況に具体的な見積もりを出し、その通りに進めていく人だったという記憶だ。単に作業が速いというだけでなく、できることを判断する力への信頼があった。
24年、開発資料をまとめた書籍「MOTHER2のひみつ」に関連する取材でも、糸井は岩田の存在を語っている。作品の救援だけで終わらず、その後のほぼ日の仕事でも相談相手になった。修羅場で示された見通しは、ゲーム一本より長い付き合いを生んだのだった。
天才が突然現れ、全部をひっくり返した。そう語れば話は速い。しかしMOTHER2を救ったのは、積み上げたものを捨てずに、完成へ届けるための立て直しだった。半年という数字の本当の凄みは、そこにある。