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ビートたけし「たけしの挑戦状」は名義貸しではなかった! 理不尽な難しさを生んだ「容量との戦い」

攻略の難しさで語り継がれる「たけしの挑戦状」。開発者の回想には、たけしの発想を残すための選択があった。

「たけしの挑戦状」の公式掲載タイトル画面
「たけしの挑戦状」の公式掲載タイトル画面(画像はタイトー公式サイト。©TAITO CORPORATION/ビートたけし 1986, 2017より)
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 攻略情報なしで遊び始め、何をすればいいのかわからなくなる。1986年発売のファミコンソフト「たけしの挑戦状」は、そんな難しさまで含めて語り継がれている。タレントの名前を冠したゲームは数多いが、ビートたけしのこの一本は、長く忘れられない異様さを持っていた。

 では、その不親切さは、たけしの思いつきを適当に詰め込んだ結果だったのか。制作を担当した福津浩氏の回想を読むと、事情はもう少し複雑だ。

「タケちゃんマンのゲーム」では終わらなかった

 福津氏は2022年の4Gamerのインタビューで、当初考えた企画を明かしている。タケちゃんマンが活躍する横スクロール型のシューティングという、テレビの人気者をゲームへ移しやすい案だった。

 ところが、たけしは別の方向を望んだ。打ち合わせでは、たけしや高田文夫らの発想が次々に出る。制作側はそれを受け止め、一本のゲームに組み上げていった。完成品の奇妙さは、名前だけを借りた商品とはむしろ逆のところから生まれていたのである。

 主人公は、最初から勇者でもヒーローでもない会社員だ。勤務先や家庭を離れ、街のさまざまな場所へ立ち寄り、やがて宝を求める冒険へ向かう。子供がテレビで知っているたけしのキャラクターを、そのまま動かすゲームにはならなかった。

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削られたのはアイデアをつなぐ「手がかり」

 意外なのは、不可解な展開のすべてが最初から計算されていたわけではないことだ。福津氏によれば、制作の終盤には容量が厳しくなり、盛り込んだ要素のうち何を残すか選ばざるを得なくなった。

 そこで優先したのが、たけしから出たアイデアだった。一方、場面と場面を結び、プレイヤーに次の行動を気づかせるための情報は削られたという。遊びの部品は残っているのに、そのつながりがつかみにくい。遊んだ側の戸惑いに、開発の事情が重なっていたのだ。

 当時の広告には「常識があぶない」という言葉が使われた。タイトーの公式サイトでも、一般的なゲームの手順が通じない作品として紹介されている。そもそも普通の冒険を提供するつもりではなかったが、そこへ手がかり不足が加わり、常識外れの難度が際立ったと見ることができる。

 2017年には追加要素を備えたスマートフォン版も登場した。そこで用意されたもののひとつが、無敵で進めるモードだった。元の不自由さを知る人には、その機能自体が時代を越えた冗談のようにも映る。

 たけしらしい発想を薄めれば、もっと親切なゲームになった可能性はある。だが、それで同じように記憶に残ったかはわからない。遊びやすさを削ってまで残したものが、結果として、この一本の名前を消えないものにしたのである。

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