大森南朋を俳優に誘った父・麿赤兒 父の事務所を離れ、自分の会社を作るまで
大森南朋が俳優を始めたきっかけは、父・麿赤兒の勧めだった。『殺し屋1』への出演後には父の事務所から独立。映画で自信を得る一方、若い頃に打ち込んだバンド活動も再開した。

大森南朋の父は、俳優で舞踏家の麿赤兒だ。大森は10代の頃、バンドに熱中していた。俳優の道へ進むきっかけになったのは、父からかけられた「役者もやってみたら」という言葉だったという。
この経緯を、大森は2025年に公開されたインタビューで語っている。映画好きでもあった大森は、父の言葉を受けてオーディションに挑んだ。テレビドラマで知られるようになる前から、映画への出演を重ねていたのだ。
大森南朋が音楽から俳優へ向かった理由
大森にとって、バンドと俳優の違いは何だったのか。2018年の別のインタビューでは、若い頃のバンドでメンバーの熱意に差が生じたことを振り返っている。音楽で生計を立てる難しさも感じるなか、俳優なら評価も批判も自分一人で受け止め、自分の力で進んでいけると考えたという。
ただ、初めから大きな役や話題作への出演が続いたわけではなかった。大森が転機として挙げるのは、三池崇史が監督した『殺し屋1』だ。2001年の公開時、大森は29歳。オーディションで得たこの役が、映画関係者に顔と名前を知ってもらうきっかけになったと回想している。
父・麿赤兒の事務所から独立し、再びバンドへ
大森は『殺し屋1』への出演後、それまで所属していた父の事務所を離れ、会社を設立したと明かしている。他の事務所からも誘われたが、自分のやりたいように仕事をしてみようと考え、独立を選んだという。
2003年の『ヴァイブレータ』では寺島しのぶと共演し、演技が評価されて受賞も経験した。本人によれば、周囲の見方が変わり、自信につながったという。出演作を積み重ねるなかで、俳優としての手応えも得ていった。
一方、演技の仕事に進んでも、音楽への思いが消えたわけではなかった。大森は映画『アイデン&ティティ』への出演時にベースを弾き、共演した峯田和伸との会話を通じて、改めてバンドのよさを感じたと回想している。
やがてギタリストの塚本史朗と組んだのが「月に吠える。」だ。二人が2018年のインタビューで振り返った結成時期は2014年頃。大森はボーカルとギターを担い、書きためていた曲もバンドで演奏するようになった。
父の勧めで始まった俳優人生は、かつて打ち込んだバンド活動にもつながっていった。


