井上陽水「少年時代」で藤子不二雄Aの歌詞は使われなかった! 2カ月の力作と名曲誕生の「意外なすれ違い」
映画の主題歌を陽水に依頼した藤子不二雄A。本人が用意した歌詞と完成した楽曲の間には、意外な距離があった。

夏の終わりを思わせる井上陽水の「少年時代」。同名映画と結びついた名曲だが、映画の原作者・藤子不二雄Aが歌詞まで書き、しかもその言葉が採用されなかったことは、意外に知られていない。
依頼した側が用意した力作を、歌う側がそのまま使わない。それだけを聞けば険悪な制作現場を想像するが、本人たちの回想にあるのは、もっと不思議な名曲の生まれ方だった。
藤子不二雄Aが陽水に送った「主題歌の依頼」
藤子Aは2003年に朝日放送が紹介したインタビューで、陽水との交流や主題歌を頼んだ経緯を語っている。もともと付き合いのあった陽水に、手紙で映画の曲を依頼したという。頭にあったのは、陽水の「傘がない」のような曲だった。
完成した少年時代の印象とは、ずいぶん違う注文にも聞こえる。依頼の時点で、誰もが知るあの歌の形が共有されていたわけではなかったのだ。
さらに、日本テレビが18年の「嵐にしやがれ」の放送内容として掲載した藤子Aの回想によると、陽水からは歌詞を書いてほしいという話があった。藤子Aは約2カ月をかけて取り組んだが、完成した曲には、その歌詞が使われなかったという。
映画にかける思いがあればこそ、言葉を選ぶ作業にも力が入ったはずだ。だが、原作者の意図を説明する文章と、歌として響く言葉は同じとは限らない。結果として主題歌は、注文や準備した歌詞から距離を取った形で世に出た。
平井夏美が語った「映画につながる前の曲」
もう一方で、共同作曲者の平井夏美として知られる川原伸司は、日本レコード協会の広報誌「THE RECORD」の2016年のインタビューで、楽曲側の経緯を明かしている。陽水と一緒に作っていた曲の中の一曲が、少年時代になったというのだ。
川原が挙げたのは、陽水と自分の父親の郷里にあたる筑豊のイメージだった。陽水の母校の歌にしてはどうかという案もあったという。映画の依頼だけで突然、曲のすべてが生まれたという単純な話ではなく、音楽を作る側にも、別の時間とイメージが流れていた。
藤子Aの側には、漫画を映画にし、その世界にふさわしい歌を届けたいという思いがある。陽水と川原の側には、先に育てていた曲がある。そのふたつが合流して、映画の主題歌として形になったと見ると、使われなかった歌詞の話も違って見えてくる。
もちろん、採用されなかったという事実だけで、藤子Aが怒ったとか、両者が対立したとまでは言えない。本人が番組で明かした印象的な制作秘話に、人間関係の決裂まで付け足す材料はない。
名曲には、最初から完成形へ向かう一本道があったように思いたくなる。少年時代は、そうではなかった。原作者が2カ月かけた言葉を使わなくても、映画と歌は結びついた。注文通りではないからこそ残った主題歌も、あるのである。