寺尾聰『ルビーの指環』につながった音楽の師匠 ジャズピアニストとの出会い
『ルビーの指環』を自ら作曲した寺尾聰。その音楽の歩みに、ジャズピアニスト・三保敬太郎との出会いがあった。本人が振り返った、ボサノバを知るきっかけとは。

1981年の『ルビーの指環』で、歌声だけでなく作曲の才能も広く知られた寺尾聰。当時は『西部警察』などに出演していたが、音楽活動の始まりはもっと早い。本人が後にヒット曲へつながる出会いとして挙げたのは、ジャズピアニストの三保敬太郎だった。
寺尾の公式プロフィールには、1966年のシングル『いつまでもいつまでも』、1970年のアルバム『二人の風船』が並ぶ。映画『黒部の太陽』への出演が1968年なので、レコードを出す活動はその前から始まっていた。俳優としての仕事と、音楽を続けてきた歩みが重なっている。
譜面を読めなかった頃に教わったこと
2021年に掲載されたインタビューで、寺尾は若い頃の三保との関係を振り返っている。ザ・サベージを離れた後に参加したザ・ホワイト・キックスで出会い、まだ譜面が読めなかった自分に音楽の基礎を教えてくれたという。演奏家に加え、作曲や編曲、レーシングドライバーとしての顔も持つ人だった。
バンドの解散後、三保は寺尾に『風もない午後のサンバ』を作った。寺尾は当時、ボサノバを知らず、この曲を通して音楽の面白さに触れたという。本人は、三保と出会ったことが後の『ルビーの指環』へつながったと話している。
歌い手であり、作曲者でもあった
寺尾は1970年代にも『ほんとに久しぶりだね』『16の夏』を発表。1980年には『SHADOW CITY』『出航-SASURAI-』、翌年には『ルビーの指環』と続く。代表曲の前にも作品を送り出しており、1981年だけを見ていては、その積み重ねは見えにくい。
『ルビーの指環』の作詞は松本隆、作曲は寺尾、編曲は井上鑑。同年の日本レコード大賞では大賞に加え、この曲で松本が作詩賞、寺尾が作曲賞、井上が編曲賞を受けた。寺尾は歌唱だけでなく、メロディーを生み出した仕事でも評価された。
1981年のアルバム『Reflections』には、『ルビーの指環』のほか、『SHADOW CITY』『出航 SASURAI』などが収められている。
寺尾が語った原点には、ヒットする前の師匠との時間がある。