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荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』は盆踊りの定番だった 愛知で育ったもう一つの歴史

『ダンシング・ヒーロー』が一宮の盆踊りに登場したのは1986年。若者にも踊ってもらおうと生まれた振り付けは、師範たちを通じて広がっていった。

一宮の商店街に並ぶ色鮮やかな七夕飾り。2022年撮影の参考写真
出典:Wikimedia Commons/一宮の七夕飾り(2022年・参考写真) 撮影:Kanesue CC BY 2.0(縮小表示・左右に余白) 原写真:Ichinomiya Tanabata Festival
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 荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』は、愛知や岐阜の盆踊りでも親しまれてきた。一宮七夕まつりで流れるようになったのは1986年。会場では体を回したり、手を上げて跳ねたりしながら、歌に合わせて人々が踊る。ステージで歌われる曲には、地域の輪の中で育った歴史もある。

 2017年には、荻野目が大阪府立登美丘高校とともに日本レコード大賞の特別賞を受けた。その年の話題から盆踊りに取り入れられたと思うと、時期が大きくずれる。一宮では、それより30年以上前から踊られていたことになる。

若者にも踊ってもらうための振り付け

 盆踊りの振り付けを考えたのは、名古屋を拠点とする日本民踊研究会だった。2018年の取材で、当時の会長・可知豊親は、若い世代が楽しく参加できるように作られたと振り返っている。振り付けは各地の師範を通じて伝わり、踊る場が増えていった。

 この経緯は、地域の指導者の話にも残っている。岩倉市の広報誌が2024年に掲載した日本民踊研究会師範・加藤豊香玉へのインタビューによると、振り付けを作ったのは同会の二代目。加藤も尾張の盆踊りで踊るようになり、テンポのよさと楽しさから定番になったと話している。

 加藤が指導や振り付けで心がけてきたのは、初めての人にも覚えやすく、踊りやすいことだ。習っている人だけが踊れるのでは、参加者の多い盆踊りには合わない。決まった振りを踊りやすく変える場合もあるという。曲を広める側には、輪に入りやすくする工夫もあった。

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2018年には荻野目洋子も会場へ

 長く踊られてきた一宮では、2018年7月29日、荻野目本人が七夕まつりに登場した。会場の人たちは、その生歌に合わせて踊った。荻野目も、毎年曲に合わせて踊ってくれる人たちへ感謝を伝えている。

 愛知だけの習慣でもない。岐阜県美濃加茂市の『おん祭MINOKAMO』でも親しまれ、県の公式観光サイトに載る2026年の盆踊り案内では、『美濃加茂踊り』などと並んで曲名が挙がっている。一時の話題で終わらず、地元の踊りの曲目に残っていることが分かる。

 再び注目を浴びる前から、夏ごとに踊ってきた人たちがいた。

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