本文へ
ニューオールドメディア

初代『ガンダム』は打ち切りから映画へ 富野由悠季が振り返った人気の転機

最初の『機動戦士ガンダム』は、予定より短い全43話でテレビ放送を終えた。その後の人気と映画化の打診を、富野由悠季はどう受け止めたのか。2023年の特別授業で語ったのは、人間同士のドラマを作っておいたことの意味だった。

2015年の東京国際映画祭で、帽子と眼鏡を着用して笑顔を見せる富野由悠季
出典:Wikimedia Commons/富野由悠季(2015年・東京国際映画祭) 撮影:Dick Thomas Johnson CC BY 2.0(縮小表示・左右に余白) 原写真:Tomino Yoshiyuki "The World of Gundam" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival
広告

 1979年4月に始まった『機動戦士ガンダム』は、翌年1月に全43話でテレビ放送を終えた。当初の予定を短縮した終了だったが、その後は映画館へ舞台を移し、劇場版3部作が生まれた。放送の打ち切りは、作品そのものの終わりにはならなかった。

 富野由悠季は、2023年9月19日にN高等学校・S高等学校の生徒へ配信された特別授業で、この経緯を振り返っている。後の人気を見越していた成功談ではなく、作り手にも予測できない反響が起きたという回想だった。

放送終了後に届いた映画化の打診

 授業の公式レポートで、富野は当時の視聴率が振るわず、打ち切りになったと語っている。その一方、放送を終えると人気が高まったとも述べた。作品を送り出す側であっても、世間がいつ、どう反応するかまでは思い通りに動かせないという。

 富野の記憶では、打ち切りから半年後に映画化の話が来た。その場で制作に応じられたのは、テレビ版に人間同士のドラマがあったからだった。放送が短くなったことだけを見れば行き詰まりにも映るが、すでに作った物語は、別の形で観客に届けられるものとして残っていた。

富野由悠季が映画化に応じられた理由

 同じ授業で、生徒からは、なぜ分かりやすい悪との対決ではなく、人々の戦争を描いたのかという質問も出た。富野の説明は、ロボットを戦わせる場面が必要だったので、初めから戦争のある世界に物語を置いた、というもの。壮大な主題だけを先に掲げて出発したわけではなかった。

広告

 そこで敵にも人間を据えたことが、後の映画化で意味を持った。富野は、人物同士のドラマを描ける作品にしていたため、複数の映画を作ることにも対応できたと振り返っている。人気が出る時期は選べなくても、その機会を受け止める材料は作品の中にあった。

 劇場版の第1作は1981年3月14日に公開された。同年7月には『哀・戦士編』、1982年3月には『めぐりあい宇宙編』が続く。テレビの映像を再編集して映画へつなぐ流れは、全43話で閉じたはずの物語に、新たな広がりを与えた。

 打ち切りから人気作への転機を語る富野が重視したのは、反響の大きさだけではない。次の制作に応えられるドラマを、すでに作っていたことだった。

広告
広告