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久保田早紀『異邦人』の出発点は中央線の車窓 シルクロードのイメージが生まれるまで

久保田早紀の『異邦人』は、最初からシルクロードを舞台に作られた曲ではなかった。原題は『白い朝』。本人の回想からは、中央線で目にした子どもたちの姿が、改題や編曲を経て異国を思わせる歌になった経緯が見えてくる。

四ツ谷駅の中央線快速ホーム。オレンジ色の案内板があり、右側に中央・総武線の黄色い帯の電車が見える
出典:Wikimedia Commons/中央線快速のホーム(参考写真、四ツ谷駅・2018年) 撮影:Michael Ocampo CC BY 2.0(縮小表示・左右に余白) 原写真:Japan Trip 2018 0354
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 1979年に久保田早紀のデビュー曲として発表された『異邦人』。シルクロードのイメージを伴うこの歌の出発点は、東京を走る中央線の車窓だった。もともとは『白い朝』という題名で、身近な風景から生まれた曲だったという。

 久保田早紀としてデビューし、後に久米小百合の名で活動している本人は、2019年のインタビューで着想の瞬間を語っている。電車に乗っていた時、沿線の空き地で遊ぶ子どもたちが目に入り、その姿に希望を感じて手帳に言葉を書いた。遠い国を旅して見つけた場面ではなかった。

『白い朝』から『異邦人』へ

 そもそも、レコード会社へデモテープを送った理由も、歌手として売り出してもらうためとは少し違っていた。2020年の対談で久米は、自分の曲をプロに聴いてほしかったと説明している。会社から連絡を受けた時も、相手が関心を寄せているのは楽曲だと聞いて、担当者に会ったという。

 『白い朝』を提出した後、曲はレコード会社の構想と結びついていった。2019年の回想によると、プロデューサーは次にシルクロードが注目されると考えており、家電メーカーからCMに使いたいという話もあった。そこで久米は、曲のイメージを遠い土地へと広げることになった。

 手がかりにしたのは、テヘランへ単身赴任していた父から届いた絵葉書やトルコ石、書店で見た本や写真集だった。元の曲を手直しし、プロデューサーの案で題名も『異邦人』へ変わる。最初の着想に、別の風景を思い描く作業が重ねられたのだ。

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本人も驚いた異国を思わせる編曲

 完成形を大きく印象づけたのが編曲だった。久米は2021年のインタビューでも、自分の曲が異国の情景を感じさせる仕上がりになったことへの驚きを話している。作者自身にとっても、原曲と同じ印象のまま世に出たわけではなかった。

 『異邦人』はカラーテレビのCMに使われ、大きなヒットとなった。久米の回想では、CMはアフガニスタンで撮影されていたという。曲を書き始めた場所と、聴き手に届いた映像の舞台は異なる。その間には、本人の書き直しと、制作側による改題や音の工夫があった。

 異国の旅を思わせる一曲は、中央線で見かけた日常の光景から始まっていた。

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